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解散を考え、踏みとどまった結成9年目のある夜

―― 1度解散を考えたことがあるそうですが、それって結成してからどれくらいの時期だったんですか。

児嶋 9年目ぐらいかな。『オンエアバトル』に出てた頃って、『オンバト』以外に仕事がほとんどなかったんです。結構仕事やってきてるのに、全然お金ないし、仕事ないし、借金だらけだし。『バカ爆走!』っていう人力舎のライブが毎月あるんですけど、ここに向けて新ネタを作る。まぁまぁウケた。あぁよかった。でも別の仕事はない、2人とも借金増えてく。それでまた次の月のライブがくるからネタ作る。あぁウケた。その後仕事ない。これ何なんだろうなってだんだんなってきて。ちょっとおかしくなってくるんですよね。ずーっと辛いんですよ。ネタ作りも辛いし。仕事ないのも辛いし。もう、一回離れたくなっちゃったんですね。それで明日ネタ作りで渡部に会う時に、言おうと思って。そう決めて、「解散しようって言おうと思う」って当時同棲してた今の嫁さんに言ったら、「いやちょっともったいないよ。ライブとかでウケてるのに」って。でも、こっちはもう聞く耳持たなくなってたので、嫁さんが、仲が良かった先輩芸人、X-GUNの西尾(季隆)さんに連絡したんですよね。西尾さん、夜中の2時くらいなのに来てくれて。「いやいや、やめたらあかん」「『オンバト』でもすげーウケてるやん。お前らがやめるんやったら、俺らが先にやめなあかんわ」みたいなことまで言ってくださって。あぁ、もう先輩がそこまで言ってくれるんだから、ってとりあえず踏みとどまったんです。

 

―― 次の日は予定通り、ネタの打ち合わせに?

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児嶋 あー、覚えてないですけど、そうでしょうね。前の日にそんなことがあったのに、ネタ作りには行ったんですよね。全然集中できてなかったと思いますよ、たぶん。

―― 解散を考えた時って、次に何をしようみたいなことも考えつつだったんですか。

児嶋 いや何も考えてないです。ただとにかく一回、ここから離れたい。辛い。それだけでしたね。

「あのタイミングで児嶋がそれを言ってたら、たぶん解散してただろう」

―― それを渡部さんが知ることになるのは。

児嶋 それから何年か経ってからですね。取材だったか、テレビだったかちょっと忘れちゃったんですけど、実はこういうことを考えていたんだってことを話しました。

―― それを聞いて渡部さんは何と言いましたか?

児嶋 「あのタイミングで児嶋がそれを言ってたら、たぶん解散してただろう」と。止める理由はなかったって言ってましたね。

 

―― ちなみにその後、2007年に渡部さんが生放送のラジオ帯番組を持つことになった時はどんな気持ちになりましたか?

児嶋 ああ、あの時は本当に仕事なかったんで、そりゃ受けるだろうとしか思わなかったな。その分、コンビでの仕事が減るかもしれないから複雑っちゃあ複雑だったけど、コンビの仕事自体もそんなにできてない頃だったし。もちろん焦りもありましたよ。だから正直「よーし、やって来い!」とまでは言わなかったし、かといって「おい、だめだよ!」とも言えないし。

―― 解散の危機から15年以上が経って、おふたりの現在の立ち位置を、児嶋さん自身はどういう風に思っていますか?

児嶋 うーん……、まぁなんかお互いやりたいこととか、コンビとしてのキャラクターがはっきりしてるので、いいと思いますよ。昔は、どっちがボケでどっちがツッコミかわかんない、同じ背格好の、特に何もないふたりだったのに比べれば全然いいですけどね。渡部はしっかりしててグルメで、高校野球詳しくて、嫁さんきれいでとか、なんかあるじゃないですか、ポイントが。僕は真逆で全然メシのこともわかんないけど、色々みんなにいじられたりとか、ポジションが与えられたというか。当然のことなんですけど、やっぱ「知られてる」状態になるまでが本当に大変なんですよね、この世界。解散を考えてた頃には夢にも思わなかったですよ、みなさんにこんなに知っていただけるようになるなんて。

 

写真=平松市聖/文藝春秋

#2 アンジャッシュ児嶋「ヒロミさんに弟子入り志願した思い出」
http://bunshun.jp/articles/-/7055

#3 結成25年アンジャッシュ 本人が語る「児嶋だよ!」で見つけた“居場所”
http://bunshun.jp/articles/-/7057

こじま・かずや/1972年、東京・八王子市生まれ。人力舎のお笑い養成学校「スクールJCA」の1期生。93年、高校の同級生である渡部建と「アンジャッシュ」を結成。俳優としても活躍し、黒沢清作品『トウキョウソナタ』『散歩する侵略者』、園子温作品『恋の罪』などにも出演。日本プロ麻雀協会第3期プロ試験合格の「プロ雀士」でもある。