一条天皇の妃、定子はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「藤原道長の兄・道隆の娘で、14歳で入内した。一条天皇から寵愛を受けたが、父の死後、彼女の人生は一気に暗転してしまう」という――。
道長の兄・道隆が権力掌握のために行った「奇策」
藤原道長(柄本佑)の父である藤原兼家(段田安則)亡きあと、後を継いだ嫡男の道隆(井浦新)。摂政、次いで関白に就任し、露骨に身内をひいきする人事を行って一族は栄華をきわめたが、その最中、長徳元年(995)4月10日に死去した。その場面が、NHK大河ドラマ「光る君へ」の第17回「うつろい」(4月28日放送)で描かれた。
大の酒好きであった道隆は飲水病(いまの糖尿病)にかかっていた。だから、年が明ける前後から体調がすぐれなかったようだが、飲水病だけでこれほど急死するだろうか。おそらく、そのころ都で猖獗(しょうけつ)をきわめていた疫病の疱瘡(ほうそう)、すなわち天然痘にも感染したのだろう。
ドラマでは、死期が近いと悟った道隆の醜態が、井浦の迫真の演技で描写された。たとえば、中宮の定子(高畑充希)のもとに現れ、「皇子を産め!」と繰り返し叫びながら、執拗に迫ったのである。
定子は道隆の長女で、正暦元年(990)、14歳のときにわずか11歳だった一条天皇(子役は柊木陽太、成人して塩野瑛久)のもとに入内。その後、道隆は前例を破り、彼女を天皇の正妻である中宮の座に据えていた。
当時、后位には「皇后」「皇太后」「太皇太后」の3つがあり(三后)、一般には順に、今上天皇、前の天皇、その前の天皇の正妻を指した。しかし、天皇が代わると后が代わるという決まりがなかったため、基本的には亡くなりでもしないかぎり空席が生じなかった。
このときも三后に空きがなかったのだが、道隆は「皇后」または「三后」の別称として「中宮」という語があることに目をつけ、「中宮」という新しい后の枠を創出し、そこに定子を強引に据えたのである。