1ページ目から読む
2/2ページ目

 原作小説の発表が1980年代、そしてこの初回のアニメ化も1988年に開始されているということから、作品内に登場する男女の描かれ方が少し古いように感じられました。女性が家事をするのが 当たり前だということが前提になっているように思われたのです。決して褒められる水準ではないとはいえ家事をやっている男性の立場からすれば、登場人物の男性に「お前も家事をしろ」と言いたくなります。そこから、先に引用したツイートへとつながっていくわけです。

 また、上記のツイートの最後、「…なんてことを書いたら炎上するかな」という一文には、昨今のツイッターにたいする私の印象が反映されています。2013年ごろから、ツイッターの一部では「表現の自由」をめぐる論争が激しく展開されていました。きわめて大雑把に言えば、女性蔑視とみなされうるアニメ表現を批判する側と、「表現の自由」の原理に従ってそれらの表現を守ろうとする側との論戦です。

「…なんてことを書いたら炎上するかな」と書いた理由

 その批判側の急先鋒とみなされているのが「社会学者」でした。確かに、アニメ表現に批判的な方々のなかには社会学者も含まれてはいるのですが、その数は決して多くありません。

ADVERTISEMENT

 しかし、「社会学者」というカテゴリーはきわめて大雑把に使われており、中規模の書店に行って社会学の書棚を覗くと、そこにある書籍の半数以上が社会学者ではない著者によって書かれている……ということも珍しくありません。おそらくは「社会について物申す、学者っぽい人」がひとまとめに「社会学者」とみなされているのが現状ではないでしょうか。

 私も自分のことを社会学者だとは思っていないのですが(社会学の正規教育を受けていませんし、そう名乗るのは恐れ多いので)、専門分野の一つに「政治社会学」と書くことはあります。

 また、当時は法政大学の社会学部に勤務していたこともあり、そうみなされるであろうことは明らかでした(ただし、同社会学部には経済学者、法学者、地質学者など、さまざまな分野の研究者が所属しています)。このような立場の人間が、アニメについてジェンダーと絡めて言及するのがリスクの高い行為であることもわかっていました。それが「…なんてことを書いたら炎上するかな」というフレーズの趣旨です。傍からみれば、「社会学者が今度は銀英伝にいちゃもんをつけてきた」という構図だったはずです。

後編では炎上後の著者に起こった悲劇について紹介――。写真はイメージ ©getty

 ただ、上記のツイートには、もう一つの意図がありました。それは、可燃性の高い話題だからと言って、何も言えないというのはおかしいのではないか、という問題意識です。ソーシャルメディアは自由に発言できる場であるはずなのに、反社会的な内容でもないはずなのに、思ったことをつぶやけない。社会学者だろうと何だろうと、もう少し自由に議論を交わせないだろうか。そうした問題意識が「ツイートする」ボタンを私に押させた大きな要因になったのでした。