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「なぜ藤井聡太さんに将棋を“教えなかった”のですか?」師匠に聞いてみると…

特別対談 「霧隠れの羽生善治」 #2

note

杉本 師匠は「どんどん食ってバンバン指せ」が口癖でした。若いんだから、悩まないでたくさん(めし)食って、たくさん将棋を指せば勝手に強くなる。ちょっと荒っぽいけど、その言葉は思い悩むタイプだった私を楽にしてくれました。ただ、師匠は私が19歳の時に亡くなられたのでお酒を飲んだり棋士同士対局するという対等の関係になることは一度もなくて。だから心残りはたくさんあるのですが、修行時代に師匠から得たものはすごく多かったです。

鈴木 将棋観、人生観のようなものでしょうか。

杉本 棋士としての生き様もです。よく言われたのは「棋士が飯を食えるのは将棋に勝つからじゃない。ファンの皆さんがいるからだ」と。そのことは私も藤井八冠に伝えています。

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「終わってみたら負けていた」と話す棋士も

鈴木 羽生さんは50歳を越えた今もなお探究心を持ち続けています。それは我々にも学ぶところがあると思っていて、その生き方もこの本のテーマにしています。杉本さんは羽生さんと公式戦で対局された経験を振り返って、どういった印象をお持ちですか?

杉本 初対局は1993年で私は四段、羽生九段はすでに竜王位を獲得されていました。奨励会に入ったのは私が2年先ですが、羽生九段は私より5年ほど先に四段になりました。初めての対戦は勝負にならなかった気がします。もう、きっちり読み切られて。

七冠を目前にしていた頃の羽生九段

鈴木 取材した棋士の方の中には、勝てる流れで進んでいたはずなのに、終わってみたら負けていた、とお話しされる方もいました。

杉本 たとえば谷川浩司十七世名人の強さは終盤力と攻めの鋭さで理解できるんです。真剣勝負に例えるなら刀身が長くて相当遠くにいても届く。だから少しでも近づいたら斬られるような恐ろしさがあります。ところが羽生九段は何か霧に隠れている感じで間合いが掴みにくい。接近戦のはずが遠のいたり、遠いはずが急に近づいてきたり。得体の知れない強さを感じます。

谷川浩司十七世名人

進化した振り飛車の感覚を身に着けて挑んだ第1局

鈴木 戦型の豊富さも?

杉本 そもそも事前対策もしづらいです。本の中で米長邦雄先生と羽生九段の名人戦が描かれていますが、当時、第1局の羽生九段の(なか)()(しや)(序盤に飛車を自陣の左に振る振り飛車のひとつ)には驚いたものです。1局目は得意の(あい)()()(しや)(双方飛車を動かさない)で来ると思いきや、採用率が決して高くない中飛車を選んだ。米長先生はあの1局に敗れたことで完全に流れを奪われたのではと思いました。

鈴木 何があったのですか。

杉本 この時、米長先生は昭和のトップ棋士がよく好んだ位取(くらいど)りを採りました。これは盤の中段をがっちり制圧して全体で押しつぶして勝つ戦法です。一方の羽生九段は中飛車で一点突破を狙い米長先生の構えをこじ開け、側面を手薄にして相手陣の内側に潜り込んでいったのです。この名人戦が行われた1994年当時、振り飛車は守りの戦法と考えられていました。しかし昭和と平成では振り飛車の感覚が違い、戦術的にかなり進化していた。それを身に付けた羽生九段の第1局の勝利という気がします。

米長邦雄永世棋聖

鈴木 当時を知る観戦記者にお話を伺うと、2人はまったく違うキャラクターだったようですね。

杉本 そうですね。