生後四ヶ月ごろの姪っ子が自分の手をじっと見つめていた。成長の過程にある「ハンドリガード」というしぐさだ。
不思議そうに自分の手を舐めたり、口に入れたりしながら、ピンポン玉のように握りしめた拳が自分の一部だと認識していく。
「ハンドリガード」をすることで、自分という存在を確かめる――それは人間の本能であり、欲望なのかもしれない。
たとえば自分の手を意識するのは、誰かに触れられた時だ。手をつなぐ、握る、撫でる、親しみや愛情を伴う行為によって、心は開かれていく。
『谷から来た女』を読み終えて、ふと思う。
人は他者の手を借りて、自分自身を確かめるのだ、と。
本書の主人公はアイヌの出自を持つ赤城ミワ。
アイヌは日本列島の北部周辺、とりわけ北海道の先住民族だ。明治時代に日本政府による同和政策が進められ、アイヌたちは住んでいた土地を追われたり、アイヌ語の使用を制限されたりした。
ミワの生い立ちからデザイナーとして地位を築いた現在までが、彼女と関わった人々によって語られていく。
ミワの内面は見えそうで見えない。見えない、と諦めて離れる者もいれば、見えないまま関係が終わってしまう者もいる。その別れ際に自分の内面を見てしまう。
表題作に登場する大学教授の滝沢は、地元テレビの番組審議会で同じ委員だったミワと出会った。
アイヌ民族としての矜持を持ち、デザイナーとしての独自の地位を築いたミワに惹かれ、関係を深めていくが、滝沢の一言によって仲はあっけなく壊れる。
その言葉はまさに滝沢の本心だったのだろう。ミワの立場になれば、言葉の受け止め方が変わる。
「何ごともないように暮らしているけれど、あなたには見えない壁が、わたしには見えるんだ」
ミワのつぶやきは、アイヌ民族を取り巻く現実だ。どこまでいっても、滝沢とミワの間には越えられない壁があり、どちらとも向こう側へは行けない。
美術学校の同期生・千紗は、昼間はアクセサリーショップ、夜はセクシーパブで働いている。すすきので偶然再会したミワがアトリエを持つデザイナーになったことを羨み、そうなれなかった自分の才能に落胆する。
「もっと自分に自信があったら、もっとあのとき踏ん張っていたら、妥協せずに作ったものを売り込んでいたら、コンペで認められていたら」