『ギター・マガジン』(リットーミュージック)の「恋する歌謡曲。」特集(2017年4月号)に紹介されている、矢島賢 × 山口百恵のコラボレーションによるヒット曲。
・『プレイバック part2』(78年)
・『絶体絶命』(78年)
・『ロックンロール・ウィドウ』(80年)
しかし、最高傑作といえば『曼殊沙華』(79年)にとどめを刺す。シングル『美・サイレント』のB面。この曲はもう「矢島賢 × 山口百恵」というより「山口百恵VS矢島賢」。引退1年前の山口百恵と矢島賢による異種格闘技戦の趣きがある。ぜひ一度聴かれたい。
そして編曲は、前回の船山基紀のライバル的存在=萩田光雄。この萩田も「チーム百恵」の一員で、先の3つのヒット曲に『横須賀ストーリー』(76年)も含めた全曲が「作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄」のトリオによるもの。
萩田光雄『ヒット曲の料理人』(リットーミュージック)によれば、矢島賢のギターは「すべて書き譜」としている。つまりは、あの派手派手しい・けたたましいサウンドは、すべて萩田の設計図通りということになる(ただし、細かい話だが、先の『ギター・マガジン』2017年4月号において、矢島賢は「『少女A』の間奏はアドリブです」と語っているので、多少は自由に弾いた部分もあるのだろう)。
『少女A』に隠された大きな物語
とにかく、矢島賢と萩田光雄という「チーム百恵」が、山口百恵のテイストを引き継ぎながら、ある意味「百恵よりも百恵らしい」サウンドを生み出し、『絶対歌わない!』とキレた中森明菜が、そのサウンドに必死に食らい付いた――これが、『少女A』に隠された大きな物語なのである。
対して、ソングライターチームは、「作詞:売野雅勇、作曲:芹澤廣明」という、当時まだ新進気鋭といっていいコンビ。ただ我々世代にとっては、この数年後に、チェッカーズの多くのヒット曲の作者として、何度も何度も目にした2人でもある。
と考えると『少女A』は、チェッカーズ最大のヒット曲『ジュリアに傷心』(84年)の前哨戦としてのマイナー・ロックンロールと位置付けられる。「山口百恵=中森明菜=チェッカーズ」という、一見何の関係もなさそうな星が一筆書きでつながれて、昭和50年代を彩る大きな星座が完成する。
作詞家・売野雅勇の最大の功績は「少女A」という秀逸かつ物騒なタイトルだろう。元コピーライターとしてのセンス全開。元々は、沢田研二に提供されながら没になった「ロリータ」という美少年ものの歌詞だったという。沢田研二の歌う「ロリータ」、ぜひ聴いてみたかった――。
さて。『少女A』を巡る人間物語はここまでとして、実はこの曲をデビュー曲にするという構想があったようなのだ。先の『中森明菜の真実』にある「当時を知るワーナーの営業担当者」の発言。
「ところが、制作スタッフの間から『少女A』がデビュー曲ではイメージがつき過ぎるという意見が出たようです。それに、この曲に対しては明菜本人も歌いたくないというか、どこかノリが悪かったようで、結果として『スローモーション』に決まったということです」
しかしややこしいのは、同『中森明菜の真実』によれば、デビュー曲『スローモーション』の次もまた、来生姉弟の作品でいくべきという意見もあったのだという(『月刊明星』84年3月号付録『YOUNG SONG』において、デビューアルバム収録『あなたのポートレート』を2弾目シングルにする構想があったという島田雄三の発言が掲載されている)。
これらの話は、現実(ファースト『スローモーション』→セカンド『少女A』)とは異なる下記2つのストーリーが選択された場合、歴史はどう動いただろうか、という妄想のきっかけを我々に与える。