(a)もし、デビュー曲が『少女A』だったら。
(b)もし、『スローモーション』に続くセカンドも来生姉弟作品(仮に『あなたのポートレート』)だったとしたら。
(a)(b)どちらの場合も、現実のような大ブレイクには結び付かなかった、それくらい現実の「ニューミュージック歌謡」→「80年代の山口百恵」の流れは見事だったと考えるのだが、個人的に強く興味をそそられるのは(b)である。
もし『スローモーション』→『あなたのポートレート』と、来生姉弟作品を続けたならば、もちろん現実のような大ブレイクには至らなかったであろうものの、もしかしたら大橋純子のような「ニューミュージック歌謡の歌姫」として、長く安定的な音楽活動を続けられたのかもしれない。逆にいえば、それくらい『少女A』は、中森明菜にとって、ある意味で重い十字架になったのかもしれない、と考えてしまうのだ。
嫌いなタイトルで大ブレイクする皮肉
この曲が最高位5位となった、82年10月18日付オリコン週間シングルランキング。
1位 近藤真彦『ホレたぜ乾杯!』
2位 一風堂『すみれ September Love』
3位 あみん『待つわ』
4位 中島みゆき『横恋慕』
5位 中森明菜『少女A』
「絶対嫌だ!こんな歌嫌だ!」「絶対歌わない!」という、少女・中森明菜の叫びに、スタッフが従順に耳を澄ましていたら……。そんな40数年後の妄想とは無関係に、「少女・明菜」は「少女A(KINA)」として一気に知られていくこととなる。嫌いに嫌ったタイトルで大ブレイクするとは、なんたる皮肉。