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「自分語り」という武器

 私が「小池百合子」というテーマに初めて取り組んだのは、今から約4年前。「新潮45」編集部からの依頼だった。男性の編集者に、「女性初の都知事であり、女性から圧倒的に支持されている小池百合子という人間を、女性の執筆者に書いてもらいたい」

 と言われたことを憶えている。つまり都知事が男性であったなら、私に執筆依頼が来ることはなかった、ということだ。私は政治を専門とするわけではなく、女性評伝を手がけてきた物書きである。

「あまり知られていない幼少期に限り、父親との関係を中心に書いて欲しい」というのが編集部からの注文で、私はそれに応える形で「小池百合子研究 父の業を背負いて」という記事を書き、それは「新潮45」2017年1月号(発売日は2016年12月17日)に掲載された。

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 その執筆時、私はいつもと同じように、まず最初に資料を集め、読み込んでいった。

 小池自身による自著も多く、インタビューや対談まで含めると、相当な嵩であった。総理経験者でも、ここまでの量にはならない。女性ということで、ものめずらしく興味本位に取り上げられた面もあるのだろうが、何よりも彼女自身がマスコミに出ることを好んできたことの証左であろう。別の言い方をするならば、彼女は常にメディアに露出し、メディアを利用し、メディアを通じて自己宣伝をすることを政治的な強みとしてきた人なのである。

 そして、それらの資料の中で彼女はいつも「自分」を語っている。政策の話も、常に自分の体験と結びつけられているのだ。生い立ち、父や母のこと、留学経験。こんなにも私生活や経歴を自ら語り、それを前面に押し出す人はめずらしいと感じた。

 地盤、看板、カバンの代わりに、2世、3世議員ではない彼女が政界を生き抜くために、武器としたもの、それがこうした彼女自身による「自分語り」なのである。だが、この「自分語り」は果たして一度でも検証されたことがあるのだろうか。メディアは彼女の言うがままを報じてきただけなのではないか、と思った。

 例えば彼女は繰り返し、自分が政治家になろうと思った原点はエジプトのカイロ大学に留学した経験に根ざすと語っている。

 エジプトに日本から政治家がやってくると通訳に駆り出された。そこで日本人の“油乞い外交”を目の当たりにし、こんなことではいけないと思い政治家を志した――。

本稿にて仮名で証言した早川さんは、その後、実名である北原百代名義で手記「カイロで共に暮らした友への手紙」(2024年5月号)を寄稿。カイロでの日々をさらに詳細に語っている ©文藝春秋

 日本の商社がリビアの大臣と交渉をする際、通訳として同行。交渉が長引いたため、予定していた飛行機をキャンセルしたところ、その飛行機が領空侵犯で、イスラエル軍に撃墜されて九死に一生を得た。その時、国家にとって領土とは何かを肌身で知り、政治家として国防を第一に考えるようになった――。

 どれも極めて劇的な話である。しかし、20歳を過ぎたばかりの留学生に、こんな重大な仕事を外務省や商社が任すものだろうか。私は資料を読んでいて腑に落ちなかった。

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(小池百合子に屈した新聞とテレビ)。

 

本稿にて仮名で証言している早川さんは、その後、実名である北原百代名義で手記「カイロで共に暮らした友への手紙」(2024年5月号)を寄稿。カイロでの日々をさらに詳細に語っている。「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7888