なぜ日本では「荒唐無稽な噓」が通ってしまうのか。小池百合子都知事が、これだけの疑惑をもたれながら、なぜマスコミでは大々的に報じられないのか。4年前の都知事選でも、まったく同じ光景があった。ベストセラー『女帝・小池百合子』の著者が指摘する、大手メディアの罪とは?
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自著から見えてきた「綻び」
彼女の「自分語り」の白眉と言えるのは、「カイロ大学を首席卒業した」という学歴である。しかし、カイロ大学はエジプトの国立名門大学で、授業はアラビア語の古語にあたる文語(フスハー)で行われる。文語の習得はアラビア語を母語とするエジプト人でも容易ではなく、4人に1人は留年すると彼女自身が自著に書いている。ゆえにカイロ大学を卒業できた日本人はまずいない、と。しかし、彼女は「4年間でカイロ大学を首席卒業した」と語っているのだ。学生数は10万人である。ずば抜けた天才であったのか。ところが、彼女の自著、『振り袖、ピラミッドを登る』の中には、以下のような記述が見受けられる。
〈(進級試験で)次に問題用紙が配られた。教授直筆のガリ版刷りときているから、まず、字がろくに読めない。字が読めても、質問の意味がわからない。どうにも答えようがないのだ。隣のエジプト人学生は、白地に青の横線の入った解答用ノートを小さなアラビア文字でどんどん埋めていく。カンニングをしようにも、その字さえも読めない私なのだから、まったくのお手上げの状態だった〉
〈私は質問にはあまり眼を通さずに、前日丸暗記した文章を書いていった。採点者が眼を丸くするような解答だったに違いない。設問と答えがまったく噛み合わないのだから〉
首席という以前に、これで卒業できるのだろうか。また、彼女は進級試験に受かるたびに高いところに登って「やったぞ!」と叫んで喜びを表す私的行事を行ってきたとも同著で語り、こう記述している。
〈1年目は落第して、この行事をとり行なう資格を自ら失い、見送りとなった。しかし、奇跡的に合格し進級できた2年目にはロータスをかたどった高さ187メートルのカイロ・タワーに、翌年にはカイロ一高いノッポビル、その翌年には小高い丘に立ったムハンマド・アリーモスクの庭、と場所を替え、きわめて個人的なこの行事を行なった。4回目、すなわち卒業の年の最後に選んだのは、この日のためにとっておいたピラミッド〉
最後の進級試験に受かって卒業できることになり、ピラミッドの頂上に登ってキモノ姿で写真を撮ったと話は続き、その記念すべき1枚も自著には載せられている。この写真は彼女がこれまで好んで雑誌やテレビで公開してきたので、目にした人も多いはずだ。だが、私の目は魅力的な「ピラミッド写真」よりも、最初の一文に惹きつけられた。
「1年目は落第して」