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「迷いはゼロであるはずはありません」

 斎藤はその前年、低迷する業績をどうにかするべく社長に就任する。そうした状況もあってか、工場を止めることについて、「迷いはゼロであるはずはありません」(注3)と率直にふり返り、秋には「名前が売れたのに、業績が落ちたら大変だと、社員にはっぱをかけています」(注4)とも語っている。

日本スピンドル製造・斎藤十内社長 ©文藝春秋

 このあたり、単純な美談ではなく、懊悩をともなう人の決断であるがゆえに、余計に響くものがある。そして2006年度の決算で13期ぶりの復配を果たすことで、「人道的な活動」と「利益の追求」は相反するものと思ってしまいがちだが、そうではないことを証明するのであった。

JR西の支配者・井手正敬の「誤った人間観」

 いっぽうで「利益」と「安全」が相反していたのが加害者のJR西である。地域で乗客を奪い合う阪急に競り勝つため、過密ダイヤと高速化に躍起になる最中の脱線事故であった。また救助活動をする近隣企業の従業員や住人と対照的に、脱線した電車に乗り合わせた出勤中の運転士に「遅れずにくるように」と言いつけたり、社員たちが自粛することもなくボウリング大会やゴルフコンペを行うなど、当事者意識の薄さが非難を浴びる。

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井手正敬・元JR西日本相談役 ©時事通信社

 今月刊行された松本創による『軌道』は、脱線事故の原因追及とこうした企業体質の変革を追ったノンフィクションである。ここで象徴的なのが、事故当時相談役だった井手正敬の次の言葉だ。「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。そんなものはまやかしです。(略) 個人の責任を追及するしかないんですよ」。ここに天皇とまで呼ばれたJR西の支配者・井手の「誤った人間観」「歪んだ安全思想」が浮き上がる。そして、こうした組織を変える中心となったのが、『軌道』の中心人物であるふたり、鉄道事故は「組織事故」だとするJR元社長・山崎正夫と、遺族の責務としてそれを問い続けた淺野弥三一だ。