代々宮中で歌学を教えてきた冷泉家。この“歌の名家”に伝わる木箱が、明治以来、初めて開けられれると、藤原定家の直筆本が見つかった。存在しないと思われていた“幻の書”の発見に、調査を担う学者チームが大興奮。冷泉家25代当主の冷泉為人さんが、800年の時を超えた大発見の意義について解説する。

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 冷泉家に伝わる、その箱の存在は知られてはいました。

 明治29(1896)年を最後に一度も開けられることすらなくひっそりと受け継がれてきたもの──私もただ畏れ多く開けずに守ってきたのです。

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冷泉為人氏 ©文藝春秋

 昭和55(1980)年から順に蔵書全体を調査するなかで、およそ130年ぶりにその箱を開けることになったものの、すでに貴重な文書は数多く発見されていましたし、もうあまり大したものは入っていないだろうと思っていました。ですから、調査を担当する学者チームから藤原定家直筆の『顕注密勘』が発見された、との一報を受けたときには仰天しました。発見した先生方も「国宝級のものがまだ眠っていたとは」と興奮冷めやらぬ様子でした。

〈国宝級の大発見について、こう語る冷泉為人氏は冷泉家の第25代当主。冷泉家は「歌聖」と仰がれた藤原俊成、定家父子を遠祖とし、800年の歴史を持つ。代々宮中で和歌を教えてきた家として知られ、貴重な文書を数多く守ってきた冷泉家の蔵は「文書の正倉院」とも呼ばれている。冷泉氏はその文書を保存、継承する「冷泉家時雨亭文庫」(京都市)の理事長も務めている。〉

『顕注密勘』が収められていたのは、縦約35センチ、横約50センチ、高さ約55センチの箱でした。上等な塗りの箱でもなく、ボロボロの木箱です。

『顕注密勘』が見つかった古今伝授の箱(提供:冷泉家時雨亭文庫)

『顕注密勘』は日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の注釈書で、歌僧の顕昭(けんしょう)による注釈に定家が自説を付け加えたものです。和歌研究のみならず国文学研究においても欠かせない書物であり、いくつもの写本が残されているのですが、原本は失われたとされていました。

一代に一度だけ開けられていた

 実は、この箱が定期的に開けられていた時代もありました。当主が代替わりするごとに一度だけ開け、収められた書物を丹念に読み込んで冷泉家に伝わる歌学を継承していたのです。

 なかでも『古今集』の解釈を継承することを「古今伝授」といいますが、父から一人の子のみへ口頭で伝えられる「一子相伝」の形式が取られてきたため、一代に一度、その箱を開けることは大変な吉事とされました。伝授が終わると盛大な歌会を催し、記念に「寿像」と呼ばれる御影(みえい、肖像画)を描かせたほどです。伝授を受けた当主は、自身の勉強の成果を記した、いわゆる「勉強ノート」を新たに箱に収め、後世へと伝えてきました。

 だからこそ、この箱を開けることにはとりわけ細心の注意が払われます。着手することになったのは令和4(2022)年10月3日。氏神様の神官に来ていただいて神事を行い、和歌の神々と祖先に箱を開けることへの許しを請いました。