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 冷泉家では、何か大切な事を成す際に、「神降ろし」、「神上げ」の儀式を行います。今回も調査に当たる者は口をすすぎ、手を洗い清めてから箱や書物に触れることになりました。

藤原定家(提供:冷泉家時雨亭文庫)

 いざ開けてみると、中には冊子類60冊と古文書類58点とかなりの数の文書・典籍類が入っていました。文書だけでなく、先ほど述べたように行間に細かな文字がびっしり書き込まれた歴代当主の勉強ノートも収められています。

 一点一点、丁寧に調べるには時間がかかりましたが、多くの有識者の方々のご意見を伺い、綿密な学術的検証を経て、今年4月に藤原定家自筆の『顕注密勘』が発見されたことを発表するに至りました。

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「定家さんのお陰で……」

 今回の調査では、箱に収められていた上中下3巻のうち中下巻が、定家の自筆によるものだと確認されました。定家が生きた平安時代後期から鎌倉時代初期の紙が使われ、さらに下巻の最後には、独自の癖のある字で記名がなされていることから、自筆原本に間違いないと結論づけられたのです。写本には残されなかった書き込みや推敲の跡は、定家の思考を研究するための貴重な手がかりになります。

定家の直筆で書き込みが(提供:冷泉家時雨亭文庫)

 ところで、その字体は現在に至るまで「定家様(ていかよう)」と呼ばれ、親しまれていますが、定家がこの字体に至ったのは、写本を多く作るために速く正確に書く必要があったからだと考えられています。リズミカルに速く書くことで起筆が自然に省略され、かなの連綿も少なくなり、さらに線の太さに緩急がつくようになっています。

 関西大学教授だった片桐洋一先生は、あるとき私にしみじみとこうおっしゃいました。

「定家さんが存在し、古典の書写活動を盛んにやってくださったお陰で、現代の日本の古典文学が成立しているのです」

 この言葉は今も私の脳裏に強烈に焼き付いています。

『古今集』はもちろんのこと、『更級日記』や『伊勢物語』、『源氏物語』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』なども、おおむね定家が書写した本が底本となっています。裏を返せば、彼が精力的に書写をしてくれていなければ、これらの作品が現在にまで読み継がれることはなかったかもしれません。

 定家は、現在わかっているだけで16回も『古今集』の書写をしています。『顕注密勘』には、行間に解釈の書き込みがなされ、貼紙による追記、擦り消しによる訂正が施され、勘物(かんもつ、文中の文字、語句、文章を原文と照らし合わせ、注記したもの)も書き込まれています。それらは定家が『古今集』についての考えを深めていった生々しい痕跡です。今回の発見により、私たちは定家が『古今集』をどのように解釈し、その歌の伝統をどう受け継ごうとしていたのかにさらに迫ることができるでしょう。

本記事の全文は、「文藝春秋」2024年7月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています(冷泉為人「直筆の藤原定家に仰天した」)

 

全文では、冷泉家25代当主の冷泉為人さんが、発見された『顕注密勘』が定家直筆であると証明された理由、婿養子として冷泉家に入って感じていた不安や重圧をはらってくれた俊成の書などについても語っています。