テレ朝の企業体質が浮き彫りになった
ところが対応を反省すると言いながら、当該社員の行為を咎めることも忘れなかった。情報提供を不適切な行為として、社員が「私どもの考えを聞いて反省している」と、篠塚氏は口元をしっかり結ぶと身体を起して、一瞬、ネクタイの結び目に手をやった。これらの仕草は篠塚氏の心に瞬間生じた優位性を表しているように思う。篠塚氏はここで、被害者を反省させるというミスをしたのだ。
「私どもの考えを聞いて」というフレーズからは、上層部が言い聞かせた、説得したというイメージを受けやすい。一瞬の仕草とこのフレーズから、社員が自分から反省したというより、この騒動を引き起こした社員を上層部が反省させたという印象を与えることになる。
人権を守ると言いながら、社員は守られる存在ではなく、社内では非難され反省させられる存在であることを浮き彫りにしたのである。「やはりこれがテレ朝の企業体質か」と思わせるに十分なのだ。「不適切な行為であっても、それは社として適切に対応できなかったためだ」となぜ言えなかったのか。いや、そう言えないのがテレ朝の企業体質なのかもしれない。
それでも提供した情報を、「許諾を得ずに録音したのは、取材ではなく身辺を守るためか」と聞かれ、「もちろんです」と語気を強めて即答する。不適切な行為については、「第三者に渡したことが不適切。無断で録音したことを不適切とは言っていない」と説明し、当該社員だけでなく、他の記者たちの取材行為について影響が及ぶだろう発言には気をつけていることがわかる。
好例は山一證券の号泣会見?
書いていて、平成9年に山一証券が自主廃業した際の最後の社長、野澤正平氏の会見を思い出した。廃業の経緯について淡々と説明していた野澤氏が、社員について聞かれた途端、「私らが悪いんです。社員は悪くありませんから」と号泣した会見だ。当時は賛否両論出ていたが、自分の言葉で気持ちを伝えよう、社員を守ろうとした野澤氏の思いが画面から伝わり、多くの人の心を揺さぶったものだ。
今回のテレ朝の会見とは問題も状況も異なり、比較するべきではないかもしれない。でもテレ朝側に企業を守るより先に、社員を守ろうという姿勢が見えていれば、企業イメージの低下もここまでではなかったのではないだろうか。
いつもは世論を動かし、時には世論を作り上げるテレビ局としては、自社に対する世論の流れを読み切れず、企業イメージを損なうことに一役買ってしまった会見だった。