万人の万人に対する闘争
限られた資源を奪い合う人間同士は、しかし、ほとんど等しい力を持っています。したがってその奪い合いは、明確な勝ち負けのつくことのない、終わりのない戦いへと発展していきます。しかもその戦いは、「私」と同じ資源を求める者との戦いであり、したがってすべての人間に対する戦いの様相を呈するのです。ホッブズは、この状態を「万人の万人に対する闘争」と呼びました。
そんなことはオーバーだ、と思われるでしょうか。いえいえ、多分そんなことありません。たとえば次のような状況を想像してみてください。
あなたは船で旅をしています。その船には100人の乗客が乗っていました。ある時、その船は高波にさらわれて難破し、あなたたち乗客は近くの無人島へと漂着しました。その無人島の中央には、小さな池があり、それが唯一の飲み水です。さてこのあと、この無人島では何が起こるでしょうか。
ホッブズの想定に従うなら、戦いが始まります。誰かが「この水はおれのものだ!」と叫んだ瞬間に、戦いの火蓋が切って落とされるわけです。最初に独り占めしようとした人は、他の人によって殺されるかもしれません。しかし、その他の人だって、決して安心はできません。なんといってもそこには、あなたを含めて100人の人間がいるからであり、そして誰もがその水を求めているからです。
この島に居続けることが、いかに危険であるかは、想像に難くありません。そしてその危険は、単に飲み物を確保できないかもしれない、ということではなく、他の漂流者によって殺されるかもしれない、ということに由来するのです。もしかしたら、漂流者のなかには、自分以外のすべての人間を殺せば、自分が飲み水を独占できる、とよからぬ考えを抱く人が現れるかもしれません。そうなれば、あなたは飲み水を心配するだけではなく、他の漂流者に対する身の安全についても心配しなければならなくなります。
他の漂流者に対して、身の安全を確保するために、最善の手段は何でしょうか。おそらくそれは、先手を打って相手を攻撃することです。たとえば、自分以外のすべての漂流者を殺してしまえば、もっとも確実に自分の安全を確保することができます。論理的に考えれば、それが最善の答えです。ところが、問題は、すべての人が同じようにそう考える、ということです。つまり、あなただけではなく、その島のすべての漂流者が、先手を打って他の漂流者を攻撃しよう、と考えるようになるのです。
ホッブズは、万人の万人に対する闘争は、ひとたび始まってしまうと、猜疑心によって全面的な戦争へと発展する、と考えました。つまりその状況では、すべての人が、問題が発生するよりも前に、先手を打って互いを殺そうとするのです。
あなたは、もはや、飲み物を心配して他の漂流者と争うわけではありません。他の漂流者から殺されないために、殺し合いに巻き込まれてしまうのです。その先に待っている全面的な闘争が、どんな悲惨な結末に至るのか、想像するのも恐ろしいです。