ちょっといけないことをしたとき、ドキドキして心が躍る。なぜ、私たちはそんな気持ちになってしまうのだろうか。ここでは、そんな問いの答えに倫理学の専門家である戸谷洋志さんが迫る『悪いことはなぜ楽しいのか』(筑摩書房)から一部を抜粋して紹介する。

 学生時代、制服を着崩していたために教室で目をつけられてしまった経験があるという戸谷さん。そもそも「空気を読まない」ことは、なぜ悪いこととされるのだろうか。(全3回の3回目/最初から読む

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制服を着崩す権利

 どの学校にも、別にはっきりと校則には書いてないし、誰かがそう言っているわけでもないけど、なんとなくみんなが守っているルールがありますよね。

 私の高校では、制服と通学カバンが指定されていました。ただ、サッカー部やバスケ部などに所属している、いわゆる「イケてる」生徒は、それを着崩すことが許容されていました。いや、もちろん、先生が見逃してくれる範囲のことです。

 たとえば、ワイシャツをズボンから出してみたり、靴の踵かかとを踏みつぶしてみたり、通学カバンをエナメルバッグに変えてみたり、といったことです。今思えば、それのいったい何がよかったのかわかりませんが、とにかく、それが私たちにはめちゃくちゃカッコよく見えていました。

©milatas/イメージマート

 ところが、前述の通り、このように制服を着崩すことが許されていたのは、「イケてる」生徒だけです。そして、何をもって「イケてる」かと言えば、サッカー部やバスケ部など、アクティブな部活動に属していることです。でも、何をもってアクティブかは曖昧でした。たとえば野球部や卓球部も大変アクティブですが、そうした部活に属する生徒には、制服を着崩すことはなんとなく許されていませんでした。

 さて、私は演劇部に属していました。当然ですが、演劇部の生徒に制服を着崩すことが許されるはずがありません。演劇部は――少なくとも私の高校では――「イケてない」からです。だから、私以外の部員はみんなしっかりと制服を着ていました。

 しかし私は、自分を「イケてる」と思い込んでいたので、その不文律に抗って、制服を思いっきり着崩していました。ヘアワックスで髪を遊ばせ、ワイシャツをズボンから出し、靴の踵を踏み、演劇の台本を入れるためにスポーツ用のエナメルバッグを持ち歩きました。