倫理学の専門家である戸谷洋志さんによると、自己中な振る舞いが楽しいのは「自分を中心に考えること」は生物の本能だからだという。だとすれば、なぜ私たちは「自己中」を悪いものだと認識しているのだろうか。

 ここでは、戸谷さんが6月に上梓した『悪いことはなぜ楽しいのか』(筑摩書房)から一部を抜粋。「カラオケで勝手にハモってくる人」を自己中だと思う理由とは――。(全3回の2回目/最初から読む)

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すべての人が「自己中」だと全滅する?

 すべての人が自己中だと、人々は争い合い、事態は殺し合いへと発展してしまいます。しかし、その結果として自分の身に危害が及ぶなら、元も子もありません。自己中は生物の本能です。だとしたらそれは生存を目的にしたものだったはずです。それなのに、その自己中によってかえって生存が危ぶまれることになるなら、おかしな話です。

 この問題はどのように解決されるべきなのでしょうか。みんなが殺し合って全滅する以外に、いったいどんな対処法があるでしょうか。

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 これに対してホッブズは次のようなアイディアを考えました。すなわち、すべての人が従うべき絶対の権力を打ち立て、その権力に対して完全に服従し、その代わりに自分の生命を守ってもらう、ということです。

 たとえば先ほどの無人島の例で考えてみましょう。飲み水をめぐって争い合っていた人々の間に、ある日、突如次のように提案する人が現れます。「もうこんな不毛な争いはやめよう。みんなでルールを決めて、そのルールに従って順番に水を飲んで良いことにしよう。もしもそのルールを破る人がいたら、全員でその人を罰することにしよう。お互いを憎しみ合うことはやめて、全員が生き残れるように、協力しよう」。

 島でのバトルロワイヤルに疲れたあなたは、きっとこの提案に賛同するでしょう。どう考えてもそれが合理的です。しかし、それは自己中を部分的に放棄することを意味します。なぜなら、この提案に従ってしまったら、もう自分が飲みたいときに水を飲むことはできなくなるからです。

 それでもあなたにとって、この提案は魅力的に見えるはずです。なぜなら、ルールに従ってさえいれば、自分の生命の安全を確保してもらうことができるからです。