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カラオケにおけるエゴイズム

 カラオケで自己中な人について、改めて考えてみましょう。

 なぜ、勝手にハモってくる人は楽しそうなのでしょうか。それは、その人が自分の快楽だけを考え、他者――この場合には私――の迷惑を考えない、エゴイズムに基づいて行動しているからであり、そしてエゴイズムは人間の本能だからです。

 では、なぜ私たちはそうした自己中な人を迷惑だと思うのでしょうか。私たちは誰でもエゴイズムを抱えています。自己中を批判しているつもりでも、自分だって心の底では自己中です。でもそれを行動には出さず、表面的には他者と協力しようとしているわけです。なぜなら、他者と協力し、みんなでルールに従っている方が、自分が安全だからです。

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 たとえば私は、他者がどれだけ自分の十八番を歌っていても、横からマイクを奪いったり、突然一緒に歌いだしたりはしません。どれだけむずむずしても、です。でも、なぜそうしないのかと言えば、それは同じことを他者からしないでほしいからです。みんなが他者のことを考えずに、自分の好きなときに歌おうとすれば、マイクの取り合いになり、かえって自分の好きな歌を歌うこともできなくなります。

 カラオケを楽しむためには秩序が必要です。そうした秩序は、一人一人が「歌いたい」という自分の衝動を抑制し、明文化されていなくとも共有されているルールに従うことで、初めて実現されるのです。そのとき、カラオケの秩序は一つのリヴァイアサンとなり、絶対の権力として出現するのです。

 自己中な人はこの権力に反逆しているのです。みんなが我慢していることを、自分だけ我慢しようとしないのです。だからそれは間違ったことであり、権力に服従している人々は、自己中を悪として批判します。そうしたことを繰り返す人は、もしかしたらカラオケに誘われなくなり、友達の輪からも追放されてしまうかもしれません。

 もっとも、このことは、自己中を批判する側は自己中ではない、ということを意味するわけではありません。それがホッブズの思想の鋭いところです。カラオケのルールに従っている人は、そのルールを破る人と同じように、自己中です。なぜならルールを守るのは、自分が歌う機会を確実に確保したいからであり、その点では、ルールを破る人よりもはるかに歌への欲求が強い、とさえ考えることができます。

 唯一、両者の間で異なるのは、ルールを守る自己中な人は、ルールを守らない自己中な人よりも、合理的だということです。賢く考えるなら、他者と協力した方が、自分の利益を追求することができる――それが、私たちの社会の本質だと、ホッブズは指摘するのです。