ちょっといけないことをしたとき、ドキドキして心が躍る。意地悪、自己中、復讐にも絶妙な快楽がつきまとう。なぜ、私たちはそんな気持ちになってしまうのだろうか。
ここでは、そんな問いの答えに倫理学の専門家である戸谷洋志さんが迫る『悪いことはなぜ楽しいのか』(筑摩書房)から一部を抜粋。「カラオケで勝手にハモってくる自己中な人」の存在は、どのように説明できるのか――。(全3回の1回目/続きを読む)
◆◆◆
勝手にハモらないでくれ!
カラオケは人間の本性が現れる怖い場所です。みなさんも友達と行ったときには十分に気をつけてください。楽しく歌って盛り上がる分には問題ありません。でも、一歩間違えると、周りから白い目で見られてしまうかもしれません。
私が遭遇したことのある例を紹介しましょう。ある日、友達とカラオケに行った私は、そこで自分の十八番とも言うべき曲を入力しました。前奏が流れ、昂る気持ちを抑えながらマイクを握り、歌い始めました。ところが、途中から友達が横から割り込んできて、勝手にハモり始めたのです。私はそんな話聞いていません。しかもぶっちゃけそのハモりがそんなに上手くないのです。ただ、だからといって「やめろ」とも言えません。私は結局、そのまま最後まで歌い続けることになったのですが、下手なハモりに邪魔されてうまく音程を取れず、気持ちよく歌えませんでした。いま思い出しても腹が立ちます。
では、なんでその友達は、勝手にハモってきたのでしょうか。多分、それは私のためではありません。そうではなく、その友達自身が、気持ちよく歌いたくなってしまったからです(実際めちゃくちゃ気持ちよさそうでした)。つまりその友達は、自分自身の快楽のために、私にとっては不快な行動をとってしまったわけです。
この友達は、紛れもなく、「自己中」だと言うことができるでしょう。なぜなら、この友達は自分の快楽を中心に考えて行動しているからです。何かを中心に置くということは、別の何かを遠ざけるということを意味します。つまり自己中な人は、自分と引き換えに他者――この場合には私――のことを遠ざけ、配慮しようとしなくなってしまうのです。だから自己中は周りの人々から白い目で見られます。
カラオケの自己中行為は他にもいろいろあります。一度マイクを握ったら離さない。歌いながら端末を操作して自分の曲を次々と入力する。注文した唐揚げに勝手にレモンをかける。歌っている人一人を取り残して全員でトイレに行く。歌っている人がいる傍で大きな声で会話する――あれ、もしかしたら私の心が狭いだけかもしれません。