すぐに国会図書館に行き、事件発生からこれまでの和也にまつわる記事を調べた。が、裁判の経過を報じるものばかりで、彼の半生に向き合う記事はなかった。
このままでは和也の人生が埋もれてしまう。判例からすれば、2件の強盗殺人を犯し、被疑者がその事実を認めているため、この先、高裁・最高裁で減刑される可能性がほぼなく、その場合、マスコミが取材を打ち切ることも知っていたのだ。
とりあえず和也に会ってみたいと思い、居場所不明のまま、東京拘置所に移送されているはずと予想し、手紙を書いた。事件や判決で感じたこと、そして何か必要なものはないかなどの旨を便箋3枚ほどに手書きし、返信を待った。
しかし、結論からすれば、和也から返信を受け取るまで半年を要した。ただし、経験からこんなことは珍しいことでもなんでもなかった。死刑判決を受けた立場の人間からしたら、大マスコミに属しているわけでもなく、名のあるジャーナリストでもない私と交流を持つメリットなどないからだ。
死刑判決を受けた「和也からの手紙」
たとえ刑事施設に収容されている人物から手紙が返ってこなかったとしても私は、何度かは送るようにしている。最初は無反応でも二度目、三度目で返信があることは少なくない。だから和也に対しても1ヶ月空けて2通目を送り、次は2ヶ月空けてまた送ることを繰り返した。彼が気まぐれで返信をくれることを待っていた。
自宅のポストに筆ペンでしっかりと記名された茶封筒が届いたのは、年を跨いだ2017年4月のことである。死刑判決が下されてから9ヶ月が経っていた。
手紙を手に「ついに根負けしたのか…」と淡い期待を抱きつつ開封した。三つ折りされた1枚の便箋にはこう書かれていた。