――給料はどれくらいでした。
武田 手取りで20万。でも、1年目にMVP、新人王、ベスト11、日本代表に入って、それでタダじゃ申し訳ないからといって、読売クラブのほうから5万ぐらいボーナスっぽいのくれましたけどね。
あと、2、3年したら、プロ・リーグが出来るからってことで静岡第一を辞めたんですよ。
ヴェルディ川崎時代に、手取り20万円から年俸1億2000万円へ
――Jリーグが発足すると知って、武田さんも湧きましたか。
武田 すでに発足の2年くらい前から、読売クラブと日産自動車サッカー部が日本サッカーのトップを争って盛り上がってたから。発足1年前にカズが読売に入って、さらにブワッとなって。その盛り上がりが続いた状態で、Jリーグは始まったんでね。まあ、発足時はプロ野球を超える盛り上がりでしたよ。
――Jリーグ発足によって、読売サッカークラブがヴェルディ川崎となって、武田さんの年俸は1億2000万円。それまで手取り20万円だったから、戸惑いみたいなものが生じたのでは?
武田 いやいや、たしかに20万円でやってきてたけど、1億2000万を現金で渡されるわけじゃないから。あと、やってることは普段と変わらないし。練習して、帰って、寝て、起きたら、練習して、っていう毎日で、使う暇もないんですよ。だから、プロになって最初の頃は使うといってもポルシェを買ったりするくらいで。
でも、発足3年目から1億2000万だったのが6000万とか、どんどん下がっていったからね。
――とはいえ、月に1000万円使っていたという話も。
武田 使うときはね。だって、年俸が1億2000万だったんだもん。それに、明日死んでもいいように、生きたいように生きてたし。とにかくサッカーが生活の軸だったしね。じゃなきゃ、手取り20万円でサッカーやってないですよ。
まあ、それでも引退間近の33歳のときに、人に預けてた1億5000万円を溶かされちゃって、全財産が0円になっちゃうんだけども。
撮影=釜谷洋史/文藝春秋
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