黎明期のJリーグを牽引し、引退後もタレントとして活躍しながら日本サッカー界の向上に努めてきた、元日本代表の武田修宏(57)。
そんな彼に、猛烈なアプローチをかけられまくったモテ期、全財産1億5000万円の消失、結婚しない理由などについて、話を聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)
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Jリーガー時代、凄まじい人気で“いわれのない話”も
――武田さんは、陽キャであることでも人気が高かったですよね。1993年のワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選となった対イラク戦、いわゆる“ドーハの悲劇”で日本代表チームが沈痛な面持ちで帰りの飛行機に乗る中、武田さんはCAたちをナンパしていたそうですけど。
武田修宏(以下、武田) それ、ラモス(瑠偉)さんが面白おかしくテレビで話して、ネットニュースになっちゃったんですよ。
当時のヴェルディって、めちゃくちゃ実力があって、有名だった。だから、こちらからだけじゃなくて、女性のほうからも寄ってきてくれた時代だったんです。普通に国内線に乗ってるだけで、電話番号を渡してくれる時もありました。
ドーハの帰りの飛行機って、当然チャーター便じゃないですか。しかも乗ってるのは、日本代表ですよ。「今度、飲みに行きましょう」ってなりますよ。
――たしかに、“Jリーガー”は凄まじい人気でした。
武田 94年かな。広島空港にファンが集まりすぎて、空港の裏口を使ったり。静岡で試合をやったら、静岡駅の前がファンですごいことになっていて、なんかあったら危ないってことで、線路から歩いて新幹線に乗りました。
――ほかにも、“いわれのない話”みたいなものはありますか。
武田 某サイトのコメントで、テレビに出なくなったのは「櫻井(翔)くんと俺が合コンして、ジャニーズ事務所(当時)からNG食らってるからだ」なんてことも書かれてて。たしかに櫻井くんとは昔、何回か食事に行きましたけど、2人きりで行ってるから。合コンなんてしないし、そんなことしたら櫻井くんの迷惑にもなるから、俺はちゃんと気を使って2人きりで会ってるの。それに、そういうコメントって櫻井くんにも失礼ですよ。これだけは、この場を借りてはっきり言わせてください。
――わかりました。1億5000万円を失ったと話していましたが、どういった経緯で。