被災地の子供たちへのサッカー指導を通して感じたこと
――残してきた実績を考えると、監督をやっていてもおかしくないですよね。
武田 19歳でMVP、読売クラブで3回優勝して、ヴェルディで3回優勝して、年間6回優勝でしょ。まあ、悪くはないよね(笑)。
――被災地の子供たちにサッカーを教えたりもしていますしね。
武田 月に1回、JFA能登半島地震復興支援プロジェクトの一環で、石川県に行ってます。先日も石川県の被災地へ行ったばかりで。やっぱり、精神的な面を含めていろいろとダメージを負っている子供たちがいっぱいいましたね。
――震災はもちろんのこと、貧困やヤングケアラーなど、苦しい状況に置かれている子供たちが目立つようになりましたよね。
武田 自分は「明るく、頑張る」っていうポジティブな考えで切り抜けたけど、それが難しい子もいるからね。そういう場合は1人で考え込まないで、友達と話をしたり、誰かの力を借りて一緒にやるのがいいんじゃないかな。
輪島の学校でサッカーを教えたんですけど「みんなで試合しよう!」と言うと、「キャーッ、やったー」って1つになって無我夢中にサッカーするんですよ。辛い状況にいる子には、サッカーじゃなくてもいいから、夢中になれるスポーツに出会ってほしいね。そうすると自然と仲間が出来たり、団結力の強さを感じたりするし、競技以外でも助け合うようになったりするんですよ。
慎重になっている結婚も「そろそろしなきゃいけない」
――今年で57歳ですが、充実していますか?
武田 そろそろ結婚しなきゃいけないなと思うんですけど。でも、今はいい感じの過ごし方をしてて。ホリプロを辞めて、世代交代で仕事は減ったけど、母親と会う時間がものすごく増えたんですよ。母親は85歳で、静岡に住んでいるんだけど、月に2回ぐらいは会いに行って飯を食ったりしてますよ。
子供の頃からずっとサッカーをやってきて、引退してからはテレビに出てたから、一緒にいる時間が一切なかった。そういう親との時間を、ここに来て取り戻してますね。
能登の被災地までボランティアに行ったり、浜松でサッカーしたり、母校の清水東高校とかいろんな学校へ講演に行ったり、母親に会ったりしながら、どうやって武田修宏を終えようかと考えてる感じだね(笑)。
――「結婚しなきゃいけない」とのことですが、結婚を避けているところもあるのでは。
武田 あると思いますよ。慎重ではあるよね。だって自分の家族が、みんなが頭に思い浮かべるような家族じゃなかったんだから。そういう環境で育ってないうえに、サッカーと出会ってしまったわけだしね。
でも、小さい頃に寂しい経験をしたことで、自分は強くなったし、ハングリー精神を養うことができたと思ってる。賭け事ばかりする父親は好きじゃなかったし、苦労もしたけど、20歳で日本代表に入ったときには、親に感謝しましたよ。逆境に立ち向かうメンタリティがなければ、日の丸を背負うことはなかっただろうから。
撮影=釜谷洋史/文藝春秋
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