34歳で引退を決意した理由とは?
――引退を決意した理由って?
武田 2002年のワールドカップ日韓大会。トルシエジャパンの頃ですよ。俺はヴェルディに戻って、得点を取ってたんだけど、(フィリップ・)トルシエは日本代表に呼ばなかった。そのとき34歳で、次のワールドカップでは38歳でしょう。さすがに無理だから、いろいろ考えて引退しました。
で、日韓ワールドカップの日テレのキャスターとか、『スポーツうるぐす』のサッカー・コーナーの担当をやるようになって。2004年から2009年にかけては、JFAのアンバサダーとしてサッカーの普及活動もやってましたね。
――バラエティでも活躍するようになりましたが、きっかけみたいなものはあったのですか。
武田 『スポーツうるぐす』をやりながら、サッカーの監督を目指していたんですよ。それで2005年には、監督になれる日本サッカー協会の公認S級ライセンスを取りましたし。
だから、俺としてはバラエティに進むつもりはなかったんですよ。だけど、『めちゃ×2イケてるッ!』や『ナカイの窓』、『VS嵐』などに出演して、いじられキャラで人気と知名度が上がっていったんです。
――タレントとしても人気が出ると思っていましたか。
武田 まさか、バラエティでブレイクするなんて思ってもいなかった。ただ、バラエティに出るスポーツ選手の第一人者にはなれたんじゃないかなって。といっても、板東英二さんというものすごい第一人者がいるけど(笑)。当時はスポーツ選手がバラエティに出ると、批判も多かったんです。でも、どんなことでも続けることが大切だと思って、テレビに出ていました。
自分としては、基本的に素でやってるんで。ロケなんかも、いろんな人と会えるから大好きだしね。それでも、バラエティに出るのって意外と大変なことなんですよ。そう見えないかもしれないけど、頭も気も使うから。でも、評価されないんだよ(笑)。
ホリプロを2年前に退所
――ホリプロを退所したのは、2022年ですよね。
武田 そうです。92年にスカウトされたんですけど、自分が入ってスポーツ文化部が出来たんですよ。だから、スポーツ文化部1期生の1番。30年、本当にお世話になりました。でも、コロナ禍で自分の人生を見つめ直して。サッカー中心の生活を送ろうと思って、一度退所することにしました。
ホリプロを退所したあとは、三浦知良さんがいるJFLの鈴鹿ポイントゲッターズ(現:アトレチコ鈴鹿クラブ)の特別臨時コーチになって。2024年からは、清水東高時代の先輩・長谷川健太さんが監督を務める名古屋グランパスの特別コーチとして、現場の指導や監督としての勉強をしています。
――いまはどこの事務所にも所属せず、おひとりで。
武田 スケジュールからメールの応対から、すべて自分ひとりでやってますね。
――マネージャーなどを雇ったりする予定は。
武田 やっぱり、1億5000万円を人に預けてパーになっちゃったりしてるから。誰かとなにかをやるって、そういうことが起きるかもしれないことなんだって今は考えるようになっちゃって。ひとりでやるのがいいだろうと。