親戚に預けた全財産1億5000万円が消えていた経緯
武田 親戚の方に税理士さんがいたので、すべて預けたんですよ。全財産の1億5000万を。
銀行に入れて預けても、増えないじゃないですか。それで株を買って増やそうとしてくれたんですけど、だけど失敗して、1億5000万あったのが、8000万、6000万、5000万って減っていって。向こうからすれば、やっぱり言えないじゃないですか。で、その方が急にパーキンソン病になって、車椅子で生活するようになってしまったんですよ。「大変だろうから、俺が自分でやるか」って、蓋を開けたら0円になってるから「えー」って。
――全財産が消えていたわけですよね。
武田 その親戚の税理士さん、最終的には車椅子に乗って謝りに来てくれましたよ。「すまん」って。俺は人が良すぎるんだろうけど、その方も悪い人じゃないから。良かれと思ってやってくれたから。
なので、「僕はまだ生きていけるから。頑張るから大丈夫、ありがとう」って伝えて。1年後にその方は亡くなりました。
――許せました?
武田 過去を振り返っても、お金は戻ってこないから。それより未来だけを考えようと思ったんです。
全財産を失い、同じ時期に戦力外通知を告げられ…
――でも、全財産ですよね。
武田 お金が無くなったのって99年なんだけど、戦力外通知も告げられた時期と被ってるんですよ。
俺は96年にヴェルディからジュビロ磐田、97年にヴェルディに戻って、同じ年に京都パープルサンガに行って、98年にジェフユナイテッド市原へ移ったんです。で、ジェフ市原のJ1残留争いで2点取って、俺は残留したと思って喜んでたんだけど、2日後に戦力外通知を告げられて、さらに全財産が無くなったこともわかって。
ヴェルディに帰ったけど、試合には半年間出られなくて。そうしたら横浜フリューゲルスにいたラウル・アマリージャが、パラグアイでスポルティボ・ルケーニョっていうチームの監督をやってると。で、このままヴェルディにいても試合に出られないようだったら引退になるから、スポルティボ・ルケーニョへ入れって言われて、飛行機に24時間乗って、南米のパラグアイに行ったんですよ。
出発の前日に、同学年の清原さん(清原和博)と2人で食事をして、「がんばってこいよな」と言ってくれてね。それ以来、彼とは会わなくなっちゃったけど、嬉しかったよね。