「メンタルが参っちゃって」パラグアイ時代の“知られざる苦労”
――単身でパラグアイへ?
武田 ひとりで。フチワキさんという日系人の方が持っているマンションを借りて、スポルティボ・ルケーニョに入って。
33歳にして、本場のサッカーを目の当たりにしたって感じでしたね。だって、サンパウロFCとかアルゼンチンのボカ・ジュニアーズといった南米トップクラスのチームが毎週試合しに来るんだから。
3試合出たけど負けちゃって、サポーターにワーッと言われてアマリージャがクビになって、俺も試合にまったく出られなくなるんですよ。それで、ちょっとメンタルが参っちゃって。
――ひとりだと、なおさら辛いですよね。
武田 「単身でパラグアイまで来たのにな」とは思いましたね。あと、パラグアイには3か月いたんですけど、海外で3か月暮らすって、ストレスが溜まるんですよ。でも、青年海外協力隊の人と知り合って、その方と飯を食いに行くようになって、メンタルは徐々に戻ってきましたね。
で、その後にブラジルに3か月ほど行くんです。去年まで柏レイソルの監督やってたネルシーニョ(・バプティスタ)が、当時ブラジルのAAポンチ・プレッタの監督をやっていて。友達がネルシーニョに連絡してくれて「じゃあ、来いよ」となって、拾ってくれて。
ハングリー精神も一層と強くなり、サッカー仲間にも助けられた
――そして、ヴェルディへ帰る。
武田 ブラジルに行った翌年の2000年に、松木(安太郎)さんが監督でヴェルディに戻ったんですよ。俺がブラジルにいるのを知って、わざわざ会いに来てくれて。「来年、来い。一緒にやろう」と言ってくれたんです。で、2001年にヴェルディに行って、同じ年に引退して。松木さんは恩人なんですよ。
お金を失くして、チームをクビになってなかったら、33歳でパラグアイに行かないですよ。でも、南米の人たちの生きる強さとか明るさみたいなものをもらえて、ハングリー精神も一層強くなりましたからね。あと、いろいろサッカー仲間にも助けてもらえてね。よく講演では、「逆境は人を強くする」「仲間を大切に」ってまとめてるんだけど(笑)。