下宿先に「調子乗ってんじゃねえぞ」と嫌がらせの電話が…
――下宿先には、武田さん以外の方も。
武田 OBの人の子供が大きくなって独立したので、部屋が空いてるってことで。空き部屋が2つあって、俺と愛媛から来た部員でそれぞれ下宿して、3年間住んでましたね。朝飯を作ってもらって、学校に行って、練習して、帰ってきて、0時に寝て。まあ、寮みたいな感じでしたね。
やっぱり、人様の家だから迷惑掛けるわけにいかないから、規則正しい生活を送っていたけど、嫌がらせの電話とか掛かってくるんですよ。それが申し訳なくてね。
――電話で、どんなことを言ってくるのでしょう。
武田 「調子乗ってんじゃねえぞ」って、他の高校の人から。俺、1年生の時点で全国大会の得点王になったから、すごい人気があって、そういう電話が下宿先に来るんですよ。中学の時も注目されてたから、1年の時に相手チームの人から思いっきり肘打ちされたり、「おまえ、ふざけんな」とか言われて試合中に殴られたりしてたしね。そういう嫌がらせとかちょっかいは、いっぱいありましたよ。
でも、しょうがないんじゃない。有名になっちゃうとさ。今はそういうのはダメだけど、俺らの頃はプロでもすごかったけどね。昔は応援歌とかひどかったから。
――どんな応援歌ですか。
武田 Jリーグ開幕の時に浦和レッズとやったんだけど、『大きな古時計』の替え歌を歌われて。「♫大きなノッポのでくのぼう♪読売の武田♫今はもう使えない読売の武田♪浦和レッズ!」と大合唱だよ。いまだに歌詞を覚えてるよ(笑)。
――逆に燃えますよね。
武田 燃えた。それ聞かされて「絶対に点取ってやる」って、2点取って勝った。親父や家のことで、ハングリー精神が培われてたから燃えたね。俺、カズ(三浦知良)のことが好きなのは、カズも若い時にいろいろあって苦労してるから。なので、とんでもなくハングリーだし、真っすぐな性格なんだよ。そんな2人が一緒だったから、ヴェルディ川崎って強かったんじゃないかな(笑)。
人間力みたいなものを叩き込んでくれた勝沢監督
――勝沢監督には、サッカー以外でもいろいろと教えられたところが。
武田 人間力みたいなものを叩き込まれましたね。挨拶とか基本的なことはもちろん、授業中に寝てたなんて聞くと呼ばれて怒られるし。勝沢監督は東京教育大学を出ているから、勉強もちゃんとやって、文武両道じゃないとダメだって考えだったんですよ。
あと、面倒見も良くて。身体の調子が悪かったら、鍼に連れて行ってくれたりとか。「なんだ、調子悪いのか? じゃあ、鍼行くぞ」って。僕らも逆らわなかったけど、大事にしてくれましたからね。昔の監督って、そんな感じじゃない?
――勝沢監督から父性みたいなものを感じたりは。
武田 そういうのは、まったくないです。とにかく厳しかった監督で恩師ですよ。あの厳しさがあったからこそ、高1で全国高等学校サッカー選手権の得点王になれたし、大会優秀選手になって高校選抜のメンバーに選ばれてヨーロッパに行けたし。
背番号10番を、1年生で背負わされたことでも鍛えられましたしね。名古屋グランパスで監督をしている長谷川(健太)さんも清水東で、先輩なんだけど、いまだに冗談で言われますよ。「俺はお前が入ってくる前の年に清水東高で優勝してんのに、なんだって1年のお前が10番を付けるんだ」って。10番ってそういう背番号だから、相当なプレッシャーですよ。
勝沢さんからの厳しい指導、1年生で名門校の10番のプレッシャー。それに耐えうるメンタリティを鍛えられたよね。