なぜ経済政策は難しい? アメリカがインフレーションにあえぐ理由
浜田 例えばコロナ禍に対応して人が集まれなくなり、学校も閉鎖になって母親も勤めに出られなくなって勤労者家庭は苦しくなった、そこでバイデン大統領が財政を大盤振る舞いしてそれを救ったのは正しかったと思います。ところがウクライナにロシアが攻め込んで、世界エネルギ―価格が上がったことも手伝って、アメリカはインフレーションになった。
インフレの物価上昇率は収まっていますが、選挙民は、物価の上昇率でなく、よき昔に比べていまの価格がより高いことを気にしている。これがバイデンの次の大統領選挙にも響きそうになった。インフレの要因も絡み合って複雑なので、前にインフレと同じメカニズムで起きているとは限らない。インフレの症状に対して、これをやってみようかあれをやってみようかとさまざまに経済政策を試行錯誤しているわけです。
したがって、どういう政策対応がいいのかも、正解というもの初めからははよくわからない。困っている人にお金を配ったり、財政支出をしたり金融を緩めたりして人助けはするが、インフレが進みそうになれば金融を引き締めたりして対応していくのです。もちろん景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです。
パンデミックと歴史的な日本の円安
浜田 目の前の新しい事象、あるいは新しい政策問題、起きたばかりの災害や感染症などが引き起こす事態については新しいデータを少しずつ学んでいくとともに、そのメカニズムを解明できる経済学をきちんと用意していかねばなりません。このように、昔のモデルでは目の前の新しい状況には対応できないこともあります、しかし細かいモデルの分析とともに、あるいはそれよりもむしろ、経済事象の基本を見据える考察が、我々を救ってくれます。
例えば何年か前に、舞さんのお母さんがアメリカに行かれた際に手をケガされて、緊急で手術をされ大変だったそうですね。手術に何十万もかかったと聞きました。
内田 もう大変でした。ただ転んで手首を骨折しただけなのに、必要な治療に総額でかかった費用は何百万円相当でしたね。クレジットカード付帯の海外旅行保険でカバーされ、自費ではなかったのでよかったのですが、日本とは比べ物にならない高い医療費に一家でショックを受けました。
浜田 それは大変でしたね。こういう個別の例を見ると、当事者にとっては極端な円安の弊害が明らかです。しかし、25年前から現在までの日本経済の歴史を見ると、日本経済は必要以上の円安のためにデフレで苦しんできたのです。必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。
安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました。参加できるまでに、うつが回復していたのを感謝したいと思います。参与として政策に関与したのもうつの一層の回復に役立ったと思えますが、それは後で述べることにします。
繰り返しになりますが、外からは医者は確実に病をどう治せるかを知っているかのように思えますがそうでもないらしい。経済政策も同じで、わからないことがかなり多い。それでも政策当局は精一杯経済を操作していくしかない。完全な治療法はわからなくても、患者が危機に陥らないように手当てをしていかねばならないのに似ています。
経済政策において、時々僕は意見を変えるので評判が悪いこともあります。金融政策を緩めようと言うと前は引き締めしようと言っていたではないかと驚かれたりする。でも状況が変わっている時には対応を変えなければいけないのです。ケインズの言葉に、「状況が変わっているのに同じことを言う人はバカだ」というのがあると言われています。
2008年から2009年にかけてのリーマン危機の下で各国は無価値に近くなった不動産抵当証券を買いまくったわけです。日本には抵当証券の危機はなかったので金融緩和粗品方。そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です。