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精神科医と経済学者の試行錯誤のプロセス

内田 ところで、精神医学と経済学は、治療の過程においてその場にある情報を合わせた上での一番いい判断をしながらも、試行錯誤(trial and error)を繰り返すというところが似ていると、以前浜田さんは書かれていましたね。例えば、私が研究をしているテーマの一つに、躁うつ病の発症を予測できるかというものがあります。

 先ほども申し上げた通り、うつ状態の患者さんがいらっしゃった場合は、大うつ病なのか躁うつ病なのかがわからないことも多いのです。実は躁うつ病であるにもかかわらず、うつ状態だったので抗うつ薬を使ってみたら、気分が上がりすぎて軽躁状態になってしまい、普段よりもイライラしたり、衝動的なことをしたりしてしまったということは、臨床現場では頻繁にあるシナリオです。そこでの誤診がなるべく減るように、臨床所見、そして脳の構造や機能の違いから、様々な研究手法を使って、うつ病と躁うつ病を見分けるヒントを探しているのです。少しずつですが、すでに実際の臨床現場で使われているヒントも見つかっています。

 こういった研究の進歩はあるのですが、それでもうつ状態から躁状態への予期せぬ転換は避けられないものです。だから試行錯誤をするしかない。もし、うつ病の治療のために抗うつ薬を飲んでいて躁状態が出てきたのであれば、抗うつ剤をやめてみましょう、そして躁状態が続くようであれば気分安定剤を試してみましょう、といったように対応を変えなければならない。その状況状況に応じて見えてくる次の段階があるので、そこでまた、その場にあった対応が必要になってくるんですよね。 

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『うつを生きる 精神科医と患者の対話』

 ちなみに浜田さんの手記には「精神医学とは経済学のようなものだ。断定的な関係がない」という浜田さんの発言に、同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。

 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました。

浜田 本書の対談を始める際は、話すなかで悲しいことを思い出してうつまでが再発してしまうのではと、心配でありました。幸い、対話が自分の精神構造を自分で探している過程のように思えてきて、自分の精神状態に対しての認識が深まったように感じています。精神科医の大きな役割も、患者に自分を発見させるところにあると思います。

内田舞(うちだ・まい)小児精神科医、ハーバード大学医学部准教授、マサチューセッツ総合病院小児うつ病センター長、3児の母。2007年北海道大学医学部卒、2011年イェール大学精神科研修終了、2013年ハーバード大学・マサチューセッツ総合病院小児精神科研修修了。著書に『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)、『REAPPRAISAL 最先端脳科学が導く不安や恐怖を和らげる方法』(実業之日本社)、『まいにちメンタル危機の処方箋』(大和書房)。

 

浜田宏一(はまだ・こういち)1936年生まれ。元内閣官房参与、イェ―ル大学タンテックス名誉教授、東京大学名誉教授。専攻は国際金融論、ゲーム理論。アベノミクスのブレーンとして知られる。主な著作に『経済成長と国際資本移動』、『金融政策と銀行行動』(岩田一政との共著、エコノミスト賞、ともに東洋経済新報社)、『エール大学の書斎から』(NTT出版)、『アメリカは日本経済の復活を知っている』(講談社)ほか。

うつを生きる 精神科医と患者の対話 (文春新書)

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内田 舞 ,浜田 宏一

文藝春秋

2024年7月19日 発売