正直、光通信で何をするのかもわかっていません。けれど、とりあえず職に就くことができたことに安心しました。
入社して最初に求められたのは、「合宿」でした。
この合宿が、一言でいうと、「突き抜けていた」のです(昔はこういう時代だったという大前提でお読みください)。
行き先もわからないままバスで3時間走ると…
会社からの案内で、2泊3日の合宿(研修)があるとのことでした。
実家暮らしだった僕は、簡単な準備をして池袋の「びっくりガード」という場所に集合し、バスに乗り込みました。
行き先もわからないまま、3時間くらい走ったでしょうか。
道中のバスの中では、「光通信の歴史」というようなビデオを視聴させられました。
バスがどんどん山の中へと進んで行き、長野県にある「高遠」という場所に着きました。
体育館のようなところに全員が集合し、インストラクター(当時の偉い方)のありがたいお話と、あらためて会社の歴史についての話を聞きました。
そして、15時くらいに、「社訓と社歌が書いた紙」が配られました。
ここからが地獄でした。
僕たちは、その社訓を声に出して読み上げました。
一度読み終えて、また読みはじめました。
また読み終えて、また読みはじめました。
そして、また読み終えて……。
気づいたら、僕たちはみんな叫んでいました。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本当です。
それからずっと叫び続けたのです。
どれだけの時間が経ったでしょう。
すっかり外が暗くなり、おなかが空いていましたが、まだ叫び続けていました。
誰もが心の中で、「これはいつまで続くのだろう……」と思っているのですが、聞くわけにもいかない雰囲気です。
そうしていると、やがて、トントンっと肩を叩かれる人が現れました。
インストラクターが「おつかれさま」と声をかけたのです。
「君はもういいよ」と許された人だけが解放されるという仕組みでした。
夜ご飯を食べることができ、お風呂に入れるのです。
僕は、20時半ごろにやっと肩を叩かれました。
何時間も叫び続けて、すっかり汗だくの状態です。
何が悪くて遅かったのか、いまだに自分ではわかりません。目つきが悪かったか、声が小さかったか、もしくはただのインストラクターの機嫌か……。
そんなことを考えて夜ご飯を食べたのですが、
新しい地獄が待っていました。