汗だくなのに風呂に入れない、山までの40~50キロの道を走らされる…そんな地獄のような合宿を経験した元光通信の社員。今の価値観と照らしあわせれば許されない状況だが、それでも当時の記憶を彼が決して「ネガティブ」に捉えない理由とは?
2003年、19歳で光通信に入社したのち最年少の役員に。さらにその後、HIKAKINと出会い、UUUMを創業し、日本のYouTuberの躍進を支えた鎌田和樹氏による初の著書『名前のない仕事──UUUMで得た全知見』(ダイヤモンド社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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なんと21時までしかお風呂に入れなかったのです。
「明日は5時起きだから早く寝てください」
そう言い残され、僕は汗だくのまま呆然としました。
言われるがままにコテージに向かうのですが、ここから夜が長いのです。
山奥なので気温がおそらく0度くらいで、パジャマなんて持ってきているわけがない。
汗だくのままお風呂に入れず寝る……。
これは心が折れます。
コテージでは許容された人数よりはるかに多い人が寝ていました。50人くらいがいたと思います。
そんな中で、0時をまわって、ようやく眠れそうになったときに、「♪お昼休みはウキウキウォッチング、あっちこっちそっちどっち いいとも~」と、アラームが鳴り出す事件が起こりました。
こういうつらい体験は、一生覚えているでしょう。
そういえば、両親に「着いたら連絡する」と言ったきりでした。携帯の電波が入らない場所で、
「これじゃあ、拉致されたのと一緒だな……」
そう思いながら、それでも疲れていたのでしょう。気づいたら眠っていました。
「理不尽」すぎる原体験
2日目は本当に5時起き。また体育館のような場所に集められました。
「今日は何をするんだろう……」
昨日のこともあったので、そんな不安が頭をよぎりました。
そう思った矢先に、「今日は5人で1チームになり、『あの山の向こう』まで行って戻ってきてください」と告げられました。
目的地は「あの山の向こう」とのこと。
その表現が本当にすごい……。
その距離を考えると、走らないと間に合わないことは明らかでした。
チームをつくり、団体で「マラソンをしてこい」と言うわけです。
その行程を詳しくは書きませんが、走ったり歩いたりを繰り返して、その道中でやっと携帯の電波が入り、親に生存報告をしました。
その日、僕たちのチームは、「あの山の向こう」まで行きました。そして帰ってきた。12時間くらいをかけて。
いま考えると、40~50キロを走ったことになりますね。
そして、その日も21時以降に戻った人はお風呂に入れません。
女性もいましたが、そんなことは関係ありません。
5人のチーム全員が揃って帰ってこないとダメだったのです。
「なぜ、こんなことをしないといけないんだろう」
「なぜ、こんなことをしないといけないんだろう」
「なぜ、こんなことをしないといけないんだろう」……
走りながら、100回以上は本気で考えたと思います。