「あの会社は上場していてすごい会社だ。そして、いろいろとすごい会社だぞ」。父親からはそう教えられた「光通信」に入社した、19歳の若者。実際に入社してみると、初日にして現代ではありえない「地獄のようなすさまじい体験」が…。

 2003年、19歳で光通信に入社したのち最年少の役員に。さらにその後、HIKAKINと出会い、UUUMを創業し、日本のYouTuberの躍進を支えた鎌田和樹氏による初の著書『名前のない仕事──UUUMで得た全知見』(ダイヤモンド社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

光通信の合宿で見た、すさまじい光景とは…。写真はイメージ ©getty

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「地獄だ……」

 汗だくなのに、気温は0度。

 部屋には数十人以上の人が押し込められている。

 声が枯れて、ヘトヘトの僕は、「地獄だ」と思いながら、布団にくるまっていた。

 数ヶ月前の僕は、ただ呑気に大学生をしていたのに──。

なぜ「光通信」に入社したのか

 これは、人生最初の「理不尽」についての話です。

 19歳の僕は、高校を出て、大学に在籍していました。

 しかし、授業に出ることはなく、ダラダラと過ごしていました。

 昼に起きて「笑っていいとも」を見て、日焼けサロンに行き、夜はバイトをして、友達とカラオケに行って、朝方に帰る。そんな毎日でした。

 ある日、当時230円の「フロムA」という雑誌を買いました。

「早く社会人になりたい」

 そんな気持ちが芽生えたからです。

 すると、雑誌の1ページ目にある、大きく記載された会社が目に飛び込んできました。

 それが、「光通信」です。

 それを見て、そこに入社しようと決めました。

 理由を聞かれても、「一番上にあったから」という記憶しかありません。

 早く社会人になりたかったのは、当時付き合っていた彼女と同棲がしたかったからでした。ちなみに彼女とはのちに別れましたが(笑)。

 僕の両親は東京の池袋で働いていたことがありました。

 光通信は池袋に本社を構えていたので、父親から、「あの会社は上場していてすごい会社だ。そして、いろいろとすごい会社だぞ」と言われました。

 その「いろいろとすごい」の意味を、そのときの僕は深く考えませんでした(その後、思う存分に味わうことになるのですが)。

 ネットで光通信のことを調べると、本当にいろいろと出てきます。

 たぶん当時より今は少なくなったはずですが、2000年前後のITバブル崩壊のときには社会的にも話題になるほどだったと聞きます。

 履歴書を送ると、すぐに採用されました。