フジテレビ系列のドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』で壮絶な生い立ちが話題になった、ゲーム芸人・フジタさん(47)。小学校入学直前に母親が急死し、その後、父親が同級生の母親と暮らすようになったため、小学生にして一人暮らしを強いられた。

 20代から父親と絶縁状態だったフジタさんだが、数年前に「家に来てほしい」と連絡を受けて再会。その後、父親の認知症が発覚し、フジタさんが介護をすることになる。彼はどんな思いで、自分を捨てた父親の面倒を見ていたのか。本人に話を聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)

ゲーム芸人・フジタさん ©杉山秀樹/文藝春秋

◆◆◆

ADVERTISEMENT

絶縁状態だった父親から突然、連絡が来たワケ

――お父さんから「とにかく家に来てほしい」と連絡があったそうですが、どんな用件だったのですか。

フジタさん(以下、フジタ) 認知症になる少し前なので、何年か前の正月だったと思うんですけど。当時81歳になっていた父から連絡があって会うことになり、これまでのことを正式に謝ってくれました。そのすぐ後に認知症になったので、何かを察していたんですかね。

――謝罪をされたとき、フジタさんはどのようなご心境でしたか。

フジタ 嬉しかったんじゃないでしょうか、一応。父親はああ見えて、僕の母親が死んでしまった直後なんかは優しくしてくれていたので。だから僕は小学2年生の頃から、すべて内縁の妻となった同級生の母親がいけないんだと思っているんです。まあ、本当はわからないですけどね。

 あと、その日は謝罪の他に、遺言書作成の話もされました。内縁の妻に遺産相続するんじゃないかと思っていたんですが、家も含めて僕に相続する、と。

20代の頃から絶縁状態になっていたフジタさん(右)と父親(写真=本人提供)

――そのお話を聞いたとき、意外に思いましたか。

フジタ そうですね。内縁の妻には「家はあげる」と言っていたらしいのですが、「婚姻関係じゃないとその権利がないから」というようなことを父親は言っていました。そのことを知った内縁の妻は、すごく怒っていました。それがきっかけで、父親が認知症になったあとに関係が切れたことに繋がったのかもしれませんね。