「森永さん、何も残っていない資産の返済を延々と続ける人生というのは、とてもつらいものなんですよ」。バブル崩壊を機に、財産を失うだけでなく、巨大な借金を背負ってしまった男性も…。

 経済アナリストの森永卓郎氏が「レバレッジ投資」に懐疑的な理由とは? 新刊『投資依存症』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

森永卓郎さんはなぜ「レバレッジ投資」に懐疑的なのか? ©時事通信社

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レバレッジという“破産加速装置”

 レバレッジの萌芽は、ジョン・ローのミシシッピ会社のときから見られる。

 ジョン・ローは、国債との交換でミシシッピ会社の株式を取得できるようにした。当時のフランス国債は財政赤字が積み重なるなかで信用を落とし、市場評価額は額面を大きく下回っていた。

 しかし、ジョン・ローは、ミシシッピ会社の株式購入時には、国債を額面価格で使用できることにした。そのことでミシシッピ会社の株式購入希望者が殺到し、株価のバブルが生じたのだ。

 もちろん、株式投資をした人が借金をしたわけではないので、厳密に言えば、「レバレッジ」の仕組みが導入されたとは言えない。

 しかし、投資家は大きなプレミアムにつられて、満期まで所有すれば元本が保証される国債を、なんの保証もない株式と交換したのだから、リスクを大幅に増やしたという意味で、レバレッジをかけたのと同じ行動に出たとも言えるのだ。

 レバレッジの仕組みが明確になったのは、ミシシッピ会社と同時期のイギリスで発生したサウスシーカンパニーバブルのときだった。

 政府債務とサウスシーカンパニーの株式を交換するという「スワップスキーム」を維持するためには、サウスシーカンパニーの株価を高値で維持することが必要だった。そのため、サウスシーカンパニーが株式を新規発行する際には、投資家に対して分割払いや借入れ(レバレッジ)などの支払いオプションが提供されたのだ。

 借金をさせて手持ち資金より大きな資金の投資をさせるというレバレッジの仕組みが本格的に導入されたのは1920年代のアメリカだった。

 当時の株式市場における証券取引は、多くの場合、取引代金の25%の証拠金を現金で支払う(purchase on margin)だけで完了した。残りの4分の3は、自動的に購入者に対するブローカー(金融仲介業者)の貸付となったから、その購入証券は、貸付担保として株式ブローカーに預託された。当然のことながら、配当やキャピタルゲインは株式の購入者が取得した。