しかし、当時の株式利回りは相対的に低率だったので、この貸付に対して支払うべき利子のほうが株式配当の額よりも高いのが通常だった。それでも、株価がさらに上昇し、その株式の販売によって得られるキャピタルゲインのほうが配当収益よりも大きくなればなるほど、この証拠金取引は現実に利益あるものになった。
だから、株式ブームが進展し、株価が上昇するにつれて、ますます証拠金取引、つまりレバレッジが利用されていったのだ。
レバレッジの怖いところは、わずかな相場の下落が破産の引き金を引くということだ。
たとえば、手持ち資金1万円で株式投資をするときに、自動的にその3倍、3万円の融資がついてきたとする。投資金額は合計4万円になる。ここで、その株が25%上昇すると、利益は1万円となる。手持ち資金は1万円だから、利益率は100%ということになる。一方で、株価が25%下がったとすると、損失は1万円だ。手持ち資金は1万円だから、損失率は100%、つまり全損となって、投資家は破産してしまうのだ。
たった25%の値下がりで破産してしまうということが、レバレッジをかけることの恐ろしさであり、実際に1929年の株価大暴落でアメリカ中が破産者だらけになった大きな原因の1つが、このレバレッジの存在だったと言われているのだ。
レバレッジ投資で破産した男
その事情は1990年代の日本のバブル崩壊でも繰り返された。
1980年代後半、プラザ合意による超円高の到来で、日本経済は未曽有の円高不況に苛まれていた。
ところが、当時は日銀が銀行ごとに融資の伸び率上限を指示する「窓口指導」という規制を続けていた。各行は、その伸び率の範囲内でしか融資を増やせない。しかも融資枠を使い残したら、翌年の融資枠を削られる。だから、銀行は窓口指導された融資枠を目いっぱい使い続けてきたのだが、折からの円高不況でお金を借りてくれる企業がない。
そこで銀行が何をしたのかというと、本来禁じられている株式や不動産への投機資金をどんどん貸し込んでいったのだ。それが株式や不動産の価格を吊り上げ、バブルが発生した。
当時の記憶で鮮明に覚えていることがある。私の友人がある事業でひと儲けした。そこに銀行がすり寄ってきて、「その資金を増やしましょう」とささやいた。友人は銀行の誘いに乗り、東京・青山のビルを一棟買いした。もちろん手持ち資金ではとても足りないので自己資金の数倍を銀行から借り入れた。
そして、その後、バブル崩壊を迎える。青山のビルの価格は7割以上、下落した。銀行は手のひらを反して、担保割れになったからいますぐ返済をしろと迫ってきた。友人はビルを売却したが、売却資金だけではとても返済しきれない。
結局、友人はビルも手持ち資金も失っただけでなく、大きな借金だけを抱えた。その返済に友人は数十年の期間を費やした。
「森永さん、何も残っていない資産の返済を延々と続ける人生というのは、とてもつらいものなんですよ」
友人はそう語った。
こうしたレバレッジに関して、世の中は「危険だからやめましょう」という方向には動いていない。そればかりか、最近ではむしろ構造的に投資に組み込まれるようになっている。