2011年、中日ドラゴンズが首位争いをする真っ最中。異例のタイミングで落合博満監督の解任が発表された。同時期、中日が負けた際に球団社長がガッツポーズをしていたという目撃談も話題になっていただけに、ファンの間では現場と経営陣の確執が噂されたが、現在に至るまで一連の出来事の真相は明らかにされていない。しかし、野球記者の鈴木忠平氏は、これらの騒動について球団社長を直撃していた……。
このたび、かつて中日の番記者として8年間を過ごしたノンフィクション作家の鈴木忠平氏の『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)が、新章の書き下ろしを加えて文庫化された。史上初となる三冠受賞(第53回大宅壮一ノンフィクション賞、第44回講談社本田靖春ノンフィクション賞、第21回新潮ドキュメント賞)を達成し、組織と個人の関係を模索するビジネスパーソンからも熱い支持を受けたベストセラーの一部を再公開。落合監督、そして坂井球団社長へ取材を行った際の様子を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む。初出:2021/10/28)
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選手に火をつけたのは…
「で、お前は俺に何を訊くんだ?」
落合は何かに陶酔したような顔で言った。
私はまず、この現実離れした戦いについて訊いた。一体、内部で何が起こったのか。
落合はフッと小さく笑った。
「確かに滅多に見られるもんじゃない……。まあ、もし、あいつらに火をつけたものがあったとすれば……」
そう言うと、2小節分くらいの間をおいて話し始めた。
「まだ俺の退任が発表される前、ジャイアンツ戦に負けただろう? あのとき、球団のトップがおかしな動きをしたっていう噂が出たんだ」
落合の眼鏡の奥が一瞬、光ったように見えた。
その噂は私も耳にしていた。
数日前、球場内のコンコースとグラウンドを繋ぐ薄暗いトンネルのような通路の片隅で、あるスタッフが声を潜めて言ったのだ。
「知ってるか? 巨人戦に負けた後に、社長がガッツポーズしたらしいぞ……」
私はそれが裏方スタッフの間だけの小さな噂話だと思っていたが、すでにチーム内部に浸透し、落合のところまで届いていたのだ。
落合は小さな黒い眼の奥を光らせたまま、続けた。
「勝つために練習して、長いこと休みなしでやってきて、なんで負けてガッツポーズされるんだ? 選手からすれば、俺たち勝っちゃいけないのかよと思うだろうな。その後、俺の退任が発表された。それからだよ、あいつらに火がついたのは」
チームが敗れたにもかかわらず球団社長がガッツポーズをした──もし、それが本当ならば、そこから透けて見えるのは、優勝が絶望的になったことを理由に落合との契約を打ち切るという反落合派のシナリオである。
落合はその行為に対する反骨心が、現実離れした戦いの動力源になったというのだ。
「あんた、嫌われたんだろうねえ」
室内の沈黙を破るように、隣にいた夫人が笑った。その声につられて落合も笑った。
だが私は笑えなかった。微かに戦慄していた。落合という人物の根源を目の当たりにした思いだった。
理解されず認められないことも、怖れられ嫌われることも、落合は生きる力にするのだ。万人の流れに依らず、自らの価値観だけで道を選ぶ者はそうするより他にないのだろう。
監督としての8年間だけではない。野球選手としてバッターとして、おそらくは人間としても、そうやって生きてきた。血肉にまで染み込んだその反骨の性が、落合を落合たらしめているような気がした。