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「あそこに絵があるだろう?」

 落合はそう言うと、リビングの壁に掛けられた一枚の絵画を指さした。明るい色彩で、住居らしき建物と田園風景が描かれた水彩画だった。

「俺は選手の動きを一枚の絵にするんだ。毎日、同じ場所から眺めていると頭や手や足が最初にあったところからズレていることがある。そうしたら、その選手の動きはおかしいってことなんだ」

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 絵画の中の建物や花々を見つめながら、落合は言った。

「どんな選手だって年数を重ねれば、だんだんとズレてくる。人間っていうのはそういうもんだ。ただ荒木だけは、あいつの足の動きだけは、8年間ほとんど変わらなかった」

 私は言葉を失っていた。

 増え続ける失策数と、蒼白になっていく荒木の表情と、そうした目に見える情報から、なぜ落合は右肩に痛みを抱える選手をショートへコンバートしたのか? なぜ、あえて地獄に突き落としたのか? 私は怒りにも似た疑問を抱いていた。

 だが落合が見ていたのはボールを捕った後ではなく、その前だった。前年の20失策と今年の16失策の裏で、これまでなら外野へ抜けていったはずの打球を荒木が何本阻止したか……。記録には記されず、それゆえ目に見えないはずのその数字が落合には見えていたのだ。失策数の増加に反して、チームが優勝するという謎の答えがそこにあった。

 つまり落合が見抜いたのは、井端弘和の足の衰えだったのだ。

井端弘和氏 ©文藝春秋

休日のナゴヤドームで落合監督が放った一言

 いつだったか、休日のナゴヤドームで、私の隣にやってきた落合が放った言葉があった。

「ここから毎日バッターを見ててみな。同じ場所から、同じ人間を見るんだ。それを毎日続けてはじめて、昨日と今日、そのバッターがどう違うのか、わかるはずだ」

 あの言葉の意味がようやくわかった。何より、落合に見られることの怖ろしさが迫ってきた。

「あいつら、俺がいなくなることで初めてわかったんだろうな。契約が全ての世界なんだって。自分で、ひとりで生きていかなくちゃならないんだってことをな。だったら俺はもう何も言う必要ないんだ」

 タクトを置いた落合は、指揮者がいなくとも奏でられていく旋律に浸っていた。ずっとこの瞬間を待ち望んでいたかのように、時計の針が2時をまわっても恍惚としていた。

 翌日の午後、私は東京ドームにいた。