1966年に当時の静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で一家4人が殺害された強盗殺人放火事件のやり直しの裁判で、静岡地裁は9月26日、起訴されている袴田巖さんに対して無罪を言い渡した。判決のポイントを解説する。
1980年に死刑が確定
1966年6月に当時の清水市にある味噌製造会社の専務宅で起きた一家4人強盗殺人放火事件をめぐっては、味噌工場の従業員だった袴田巖さん(88)が逮捕された。
袴田さんは当初こそ警察の苛烈な取り調べに屈し犯行を自供したものの、裁判では一貫して無罪を主張し、有力な証拠もなかった。
ただ、事件から1年2カ月後に味噌樽の中から大量の血痕の付いた衣類5点が見つかり、袴田さんは「自分のものではない」と訴えたものの、静岡地裁はこれを決定的な証拠として死刑を言い渡す。
そして、東京高裁が控訴を、最高裁が上告を棄却したことで1980年11月に死刑が確定した。
“5点の衣類”のDNA
第一次再審請求は静岡地裁、東京高裁、最高裁のいずれも棄却したが、第二次再審請求で潮目が変わる。
犯行着衣とされた前述の“5点の衣類”に付着した血痕のDNAを調べたところ、被害者のものとも、袴田さんのもととも一致しなかったのだ。
このため静岡地裁は2014年3月、“5点の衣類”について「袴田のものでも犯行着衣でもなく、後日ねつ造されたものであったとの疑いを生じさせる」などとして再審を決定。
“5点の衣類” 「黒」か「赤」か
この決定は、検察側の抗告を受けた東京高裁が「弁護側のDNA鑑定の方法について科学的原理や有用性に深刻な疑問があり信用できない」として一度は取り消されるが、最高裁は「有罪の証拠となった犯行時に着用したとする衣類に付いた血痕の色の変化について、専門的な調査が必要なのに審理を尽くさなかった」と指摘し、東京高裁に差し戻された。
審理の中で、弁護団は支援者と一緒に行った独自の実験結果から「長期間、味噌に漬けた衣類の血痕は“黒く”なる」と主張。さらに法医学の専門家に鑑定を依頼したところ、一般的な味噌と同じ塩分濃度と酸の強さに設定した液体を血液に加えると「数日、長くても数週間程度で血液は赤みを失い、茶色から黒っぽい色に変色することが証明できた」とした。血液中に存在するタンパク質で赤い色素を持つヘモグロビンは弱酸性と塩分濃度10%の環境下に置かれることで、分解され黒く変色するという。