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健さんから最後に送られた手紙

 日ならずして見覚えのある厚手の封筒が届いた。

 谷 充代 様
 残暑見舞いをありがとう。
 お陰様でこの夏も乗り切れそうです。
 お母様との暮らし、悔いのないように……。
 大切なのは、自分の心。無理せず、くれぐれもご自愛を。

 2013年8月28日
 高倉 健

「お母さんとの残された時間、悔いのないよう歩んでください。大切なものは、探さなくても目の前にあリます」

 耳を澄ませば、健さんの声なき声を聴いたようだった。

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 健さんはその手紙を最後に、平成26年(2014)年11月10日に他界した。

 仕事、仲間、人生……健さんの背中は何を語ったか。私は四半世紀に亘る取材を一冊にまとめた。

 その本が手元に来た時、90歳になった母はベッドに腰掛けていた。

 昨秋、健さんが亡くなったことを話した時、涙を浮かべた母であったが本を手渡すと、

「お元気かしら。きっと喜んでくれるね」

 その日、認知症の兆しが見えてきていた母の心に健さんが蘇ったのだった。

「きっと、電話があるわね」

「とっても甘いみかんのお礼はしたの?」

 母は健さんとの電話でのおしゃべりを懐かしがった。

 介護の日々にあって、健さんの愛読書『男のリズム』を読み返した。池波正太郎さんのエッセイに通底するのは、人はみな死ぬということ。だから平凡だけれど毎日を一生懸命考えて生きる。

 池波さんは自身の家族観をこう語っている。

 残された時間を意識することが、身内にやさしく接することにもつながった。

 この言葉は、母との暮らしを支える大きな力となった。

 歩行困難になっていく母のために段差の少ない住まいに移った。

 寂しがるかと思えば、窓から見える景色を少女時代に過ごした町の景色に似ていると言い、穏やかな時を過ごした。

 それから1年6カ月後、母は93歳で天界へと旅立った。