見ていた私が、息継ぎを忘れていることに気づいたとき、1頭の馬がパンサラッサを交わしてゴール板を駆け抜けた。勝ち馬の表情を捉えた画面に、息の上がるパンサラッサが一瞬だけ見切れた。目の当たりにしたファンを沸かせるだけでなく、最後の最後まで粘り強く、勝ちに行ったパンサラッサ。ゴールの10mほど前でイクイノックスに交わされて2着となったが、この一戦でさらに多くの人々がパンサラッサの「虜」となった。
その後は2023年、英国のサセックスS(GⅠ)への出走を予定していたところで前脚繫じん帯炎を発症してしまった。この年で引退することがすでに発表されていたこともあり、このまま引退かと予想するファンもいたが、なんとパンサラッサは帰ってきた。復帰、そして、引退レースとなったのが同年のジャパンC。私は「ありがとう」と、何度も何度も唱えながら最後の直線を見つめていた。
矢作調教師の言葉
ジャパンCの夜、矢作調教師とお会いする機会があった。私は矢作調教師に「パンサラッサと先生にたくさんのことを与えてもらいました」と感謝の言葉を述べたが、矢作調教師は首を横に振った。「それは違う。僕らが与えてもらっているんだよ、みんなに」と。
年が明けた2024年1月8日。パンサラッサの栄光を称え、中山競馬場で引退式が催された。
光栄なことに私も出席させていただくことになり、式が始まるまでの時間を控室で過ごしていた。同じく出席する元廐務員の池田氏と、パンサラッサの生産者である木村秀則氏は、その日が初対面。二人の会話は、実に興味深かった。「パンくんはやはり生まれた時から“やんちゃ”だったのですか?」という池田氏の問いに、木村氏は「牧場では優等生でしたよ。他馬の争いごとには関知せず、おとなしくて、いつも淡々としていました」と答えた。両者とも“信じられない”といった具合で笑い合う。「どのタイミングで変わったのか?」「だから海外遠征の際は落ち着いていたのだろうか?」と、正解の出ない答え合わせは、いつまでも続いた。
夕焼けと入れ替わるように、パンサラッサがターフに姿を現した。レースだと思っていたからか、いつも以上に「やんちゃ」なパンサラッサだった。パンサラッサに歌を贈るため、壇上にのぼった。私はそこから、光る瞳を見た。雨上がりの水たまりのようなその瞳は、どんな言葉も奪い去るほど眩しかった。それはパンサラッサの瞳ではない。パンサラッサを見送る、競馬ファンの瞳だった。
世界を作るのは、君だけ。
競走馬の栄光を語るとき、負けたレースにスポットを当てるのは無礼なのかもしれない。あの日、パンサラッサは確かに負けた。けれども、記憶に残る、勝ちに等しいと言える走りだった。パンサラッサを語らずして、2022年の天皇賞・秋を語ることはできないだろう。
「一度くらい勝つのでは?」私はそんなことを考えながら、何度もレースを見返している。
――行け、パンサラッサ。世界を作るのは、君だけ。