「『記録よりも記憶に残る』――いったい誰が最初に紡いだ言葉なのだろう。パンサラッサは、この言葉がひたすら似合う競走馬だった」
名馬・パンサラッサにまつわる心温かいエピソードを、小川隆行氏らが歴史的な名馬のエピソードを執筆した『アイドルホース列伝 超 1949ー2024』(星海社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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「記録よりも記憶に残る」――いったい誰が最初に紡いだ言葉なのだろう。パンサラッサは、この言葉がひたすら似合う競走馬だった。
パンサラッサの「記録」は説明するまでもない。GⅢ福島記念の勝利を皮切りに、GⅡ中山記念も制覇――さらには、初のGⅠ制覇を成し遂げたドバイターフ(ロードノースと同着)。そして、日本馬史上はじめて勝利を手にした世界最高賞金レースのサウジC勝利へと繫がっていく。パンサラッサは、芝とダート両方の海外GⅠレースを制した初の日本調教馬である。
この記録を再び作る競走馬は今後、そう簡単には出てこないであろう。
しかしながら、人々の脳裏に焼きついているパンサラッサの「記憶」といえば、おそらく、2022年の天皇賞・秋での走りではないだろうか。あの日、パンサラッサは自身の世界を作った。それほどに、勇敢な大逃走だった。
2022年の天皇賞・秋
「府中の2000mは簡単ではない」レース前に矢作芳人調教師も話していたように、天皇賞・秋を逃げ切って勝利したのは1987年のニッポーテイオーまで遡る。それ故か――それとも他の出走馬も豪華メンバーだったからなのか、パンサラッサは単勝22.8倍。
15頭立ての7番人気に甘んじていた。けれども、当時の担当、池田康宏元廐務員には自信があったという。「パンサラッサは暑さが苦手。前走の札幌記念のあとは北海道で放牧していて、季節が変わってからトレセンに帰ってきた。涼しくなると手を焼くほど元気になるのがパンサラッサ。いいタイミングだと感じていた」その思いは返し馬を終えた鞍上、吉田豊騎手も同じだった。「池田さんの言う通り、良くなってる。これなら――」この一言で「今日はやれる」と、池田廐務員の自信は、確信に変わったという。
ファンファーレが鳴り響き、2番ゲートに悠々と身を収める。近走はスタートダッシュがつかないレースが続いていた。しかし、この日のスタートは互角だった。鞍上の手が動き、パンサラッサがこの日も果敢にハナを叩く。そして向正面に差しかかったところで先頭に立った。実況が後続馬の紹介をし終えるころ、2番手との差は測れないほど広がっていた。前半1000mの通過は57秒4。ハイラップのまま大ケヤキを通過する。それでもなお、脚は止まらない。ターフビジョンと6万20000人の瞳に、1頭だけが映し出される。勢いは衰えず、そのまま4コーナーを回っていく。長い。わかっていても、長い直線――。残り400m、坂を駆け上がり始めたところでムチが入る。1回、2回。間が開いて3回、4回…。しかし、ムチが入る度に後続との差が縮まっていく。長い坂を上り切ると同時に脚が止まる。