桜井 でも、やっているのは明学生じゃないんだよね。ほとんどは他校の大学生。僕らが高校1年の時の文化祭の前夜祭が学生運動の学生たちに潰されちゃって、新聞沙汰にもなった。
高見沢 その見出しが「高校生怒る」。映画『大魔神怒る』じゃないんだから(笑)。僕らは三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれた世代だから、そんな燃えカスが高校にありつつも、運動には冷めていましたね。
先輩たちはバリケードを作って、先生をロックアウトしてたらしい。高校生なのに。でも、先生たちから「バリケードはこのまま残しておくし、壊さない。だから、親御さんが心配するから今日は帰りなさい」って説得されたら、高校生の方も「わかりました」って帰っていったって(笑)。「これじゃロックアウトじゃないだろ」って、あとで先生が笑い話にしていた。
桜井 そういう校風だったよね。でも、校外に出たら他校の高校生からカツアゲされる。だから、腕時計はしなかった。
高見沢 周辺にヤンキーっぽいのがいたからね。明学の高校生は狙われがちでした。
桜井 ヤツらは後ろから来るんだよ。で、「おまえ、カネ持ってんだろ? ちょっと跳ねてみな」と言うわけ。チャリンチャリンと音がしないように、俺はポケットを押さえて跳ねたよ(笑)。
2・坂崎、フォークソング同好会を創設
——坂崎さんは、都立墨田川高校の出身。どんな高校生活でしたか?
坂崎 明学とは真逆の雰囲気の進学校。「勉強しない子はうちの学校に来ないで」という感じ。なのに、僕は高校の入学式にギターを持って行ったらしいね。自分では覚えてないんだけどさ。
桜井 それは、イケナイねえ。
高見沢 すごいなあ。
坂崎 で、「山谷ブルース」(岡林信康)を歌っていたらしい。今でも言われるけど、本当に覚えてない。高校1、2年の記憶がほとんどないんだよね。でも、同級生や先生が僕のことを覚えていて色々教えてくれる(笑)。それで記憶がちょっとずつ蘇ってくる。
たとえば、授業中もギターを持ち込んでいたから、当時30代だった担任の数学教師に言われたんだよ。「あなた、学校に何をしに来てるの?」って。
高見沢 女性の先生?
坂崎 そう。言われて初めて気がついたんだ。学校にギターを持っていったらいけないって(笑)。それで、堂々と弾くためにフォークソング同好会を作った。
高見沢 理由があれば持っていける、というわけか。
坂崎 そう。高校2年のときにフォークソング同好会を作って、3年生になってからは1つ下の学年に任せた。俺はギターを持っていきたいだけで、同好会で何かをしたいわけじゃないから。でも、その同好会はいまだに続いている。
桜井 坂崎が初代会長。
坂崎 そう。銅像が建ってもいい(笑)。
高見沢 坂崎の母校は進学校だからな。
坂崎 学生運動はぜんぜんなかった。ツッパリは数人いたけどね。
桜井 うちのクラスには学生運動やってるヤツがいたな。授業をよく欠席してたよ。
高見沢 ほーっ。
坂崎 僕は高校2年までは落ちこぼれていた。「そろそろ受験勉強しないと本当にまずいぞ」と思い始めたのが、高校3年になってから。
だから、3年生のときに山野楽器で開かれていたフォークソング・コンテストに一人で出たのは、“最後のけじめ”のつもりだったんだ。そこで、桜井と出会った。