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「レコードかなと思ったら、桜井の生歌だった」

 桜井 ちなみに、審査員は「走れコウタロー」を歌ってたソルティー・シュガーの高橋隆さん。

 坂崎 優勝したのは、桜井たちの「コンフィデンス」っていうバンド。僕は参加賞。あのコンテストに出場していたのは大人ばかりで、高校生は6人だけだった。僕のほかには、コンフィデンスの3人と、早稲田実業の高校生が2人。大人からは「君らは高校生の割に上手だね」と言われていた。

 僕は「桜井っていうのは良い声だな」と思ってたけど、コンテストで出会った早実の2人と「へそ下三寸」っていうバンドを結成することになった。

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 高見沢 早実の2人はギターが上手かったよね。

 坂崎 「へそ下三寸」は2、3カ月間続けたんだけど、結局のところは音楽活動をあまりやらなかったんだ。そうしたら、たまたま……。

 高見沢 出会っちゃったんだよね。

 坂崎 高校3年の夏に、桜井と。でも、直接じゃないからね。コンフィデンスのメンバーと再会したんだ。

 桜井 まあ、コンフィデンスもそんなに活動してなかった。でも、メンバーがクラスメートだから、学校でたくさん練習したよ。

 高見沢 覚えてるよ。放課後にサイモン&ガーファンクルの曲が聞こえてきて、「誰かがレコードをかけているのかな」と思って見に行ったら、桜井の生歌だった。「あれっ、上手いじゃん!」と思って。エコーがワーッと校舎に響いていた。

 桜井 階段の踊り場で練習してたからね(笑)。

(聞き手・内田正樹、構成・文藝春秋編集部)

本記事の全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています(桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦「THE ALFEE デビュー50年の20大ニュース ノーカット2万2000字」)。全文では、若き日の3人の写真とともに、下記の内容を読むことができます。

 

[目次]

 

【デビュー前(~1973)】
 1 学生運動に翻弄された高校での出会い
 2  坂崎、フォークソング同好会を創設
 3 桜井の美声デビューは村内放送だった!
 4 桜井、「古典4点事件」
【ブレイクまでの道程(1974~1982)】
 5 疑問符だらけのデビュー
 6 “大人の事情”でレコードが発売中止
 7 桜井、「角刈り事件」
 8 高見沢・坂崎、ギターをエレアコに持ち替える
 9 坂崎、『オールナイトニッポン』でレギュラーに
【ブレイク後の足跡(1983~2023)】
 10 『ザ・ベストテン』初の衛星中継でアクシデント
 11 ファン宅をサプライズ訪問したが……
 12 東京ベイエリアで10万人ライブ
 13 横浜スタジアムでライブ中止命令
 14 サイモン&ガーファンクルの“聖地”でライブ
 15 明治学院大学を“名誉”卒業
 16 「髙見澤俊彦」が作家デビュー
 17 高見沢、タマネギ事件
 18 コロナ禍で「顔を合わせない期間」最長記録
【デビュー50周年、これからの“ニュース予告”(2024~)】
 19 100回目の武道館、2025年にはライブ3000本に
 20 デビュー50周年のライブ、「青森ねぶた祭」に山車