大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか?
2人に訪れた「人生最大の悲劇」を、砂川さんの著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。
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運命を大きく左右した「人生最大の悲劇」
僕たち夫婦には、子供がいない。いや、正確に言えば、僕たち夫婦はこれまでに二度、新しい命を授かっている。けれども、その後、二人の運命を大きく左右する、人生最大の“悲劇”が、僕たちに訪れるのであった……。
最初の妊娠は、結婚直後――。ペコ(大山のぶ代さんの愛称)が32歳、僕が29歳のときのことだ。もともと子供が大好きだった僕は、カミさんの妊娠報告が嬉しくて仕方なかった。その事実を知らされたときの興奮といったら、世界中に「俺とペコに子供が生まれるんだぞ! 俺は父親になるんだ!」と大声で叫びたいほどだった。
だが、その喜びは露と消えた。妊娠7ヶ月を迎えた頃、カミさんが突然、破水したのだ。
僕らは慌てて深夜の病院に駆け込んだが、何かの不手際だったのだろうか。診察してもらうまでに、夜間の受付窓口で30分も待たされた。
「残念です。あと30分早かったら、なんとかなっていたんですが……」
処置室から出てきた医師は僕の顔を見るなり、そうポツリと言った。
「えっ、30分!?」
僕たちは30分以上前に病院に来ていたじゃないか。いったい、どうなっているんだ? 僕は病院の廊下中に響き渡る大声で、そう叫んでいた。
しかし、次の瞬間――。
「本当に残念です。死産です。男の子でした……」
医師の声が僕の胸に、こう冷たく響いた。
僕は全身がガクガクと震え出した。そして怒りと悲しみが同時に込み上げてきたが、あまりのショックで、怒りの矛先を誰に向けたらよいのかすら分からなかった。
やり場のない思いを抱えながらも、僕が一番案じたのはカミさんのことだった。僕がこれほど辛いのだから、彼女は何十倍も、いや何百倍も苦しい思いをしているに違いない。