大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか? 

 

「最愛の娘」を失ったときの2人の思い出を、砂川さんの著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。

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たった3ヶ月で生涯を終えた愛娘・絵梨加

「ペコ、どうしたんだ? こんなところに座って」

「啓介さん。あの子、今、危なかったのよ……」

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「ええっ。絵梨加は大丈夫なのか?」

「今は落ち着いているけれど、私、心配で心配で……。あの子、あんなに元気にしていたのに、急に動かなくなっちゃったんだもの……」

「そうか……。でも、ペコ、そんなところに座っていないで早く立ちなさい。絵梨加が元気になっても、君の具合が悪くなったらどうしようもないだろう」

「うん……」

 娘の容体の急変後、保育器の中で懸命に生きようとしている小さな絵梨加を見つめながら、来る日も来る日も、カミさんは病院の廊下で手を合わせ、祈り続けた。

 だが、神様は僕たちの願いを、残酷なことに、聞き入れてはくれなかった。

 容体が急変してから1週間後、絵梨加は静かに息を引き取り、天国へと旅立った。母に抱かれることも、お乳を飲ませてもらうこともなく、ただ狭い保育器の中だけで、たった3ヶ月の短い生涯を終えて――。

「先生は大丈夫だとおっしゃったじゃないですか! どうして、どうしてなんですか!」

 カミさんは髪を振り乱しながら号泣し、医師を責め立てた。

「私たちも間違いなく元気に育つと思っていたんですが……。心臓か肺のどちらかが完全だったら、なんとかなったのですが……」

 絵梨加の死因は、心臓と肺の先天性疾患だった。

「どっちかって、そんなの最初から分かっていたことでしょ!?」

 彼女はこう医師に叫び、自分でも何を言っているのか分からないまま、呼吸が止まりそうなほどの勢いで泣きじゃくっている。

「ペコ、もうよしなさい。先生を責めてどうなるんだい」

 僕だって、本当はカミさんと同じ気持ちだった。でも、二人して取り乱すことはできないし、絵梨加の死は誰の責任でもないだろう。

「赤ちゃん、最後に抱っこしますか?」

 看護師さんが、息絶えた絵梨加を抱いてきた。