大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか?
砂川さんが大山さんの認知症を悟ったときのエピソードを、砂川さんの著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。
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前兆と発症
「お医者さんの診断では、アルツハイマー型認知症だそうです」
マネージャーの小林からそう聞かされたとき、僕の胸に湧き上がったのは「驚き」ではなかった。
「ああ、やっぱり……」
2012年秋、以前から通院していた慶應病院で、カミさんは脳の精密検査を受けた。検査結果が判明する日、所用で行けなかった僕の代理として、マネージャーの小林に病院へ行ってもらったのだ。
思えば、「認知症なのかもしれない」と思うような症状は、以前から何度も現れていた。7年前に脳梗塞で倒れ、自宅からの通院治療を続けている間、カミさんの不可思議な行動は、どんどんエスカレートしていたのだ。
どこまでが脳梗塞の後遺症で、どこからが認知症の症状なのかは、いまだに分からない。「この日から認知症を発症した」とは、明確に線引きができないからだ。だが、それでも――。
「ペコが認知症になんて、なるわけがない」
と、あの秋の日に、医師からはっきりと病名を告げられるまでは、僕はその現実を素直に認めることができず、目を背けていたのだと思う。
でも今、思い返せば、カミさんの不可思議な行動は、脳梗塞の退院直後から始まっていた。おそらく、2012年秋に病院で認知症だと告げられる数年前から、彼女は認知症を発症していたのだと思う。
愛煙家だった彼女が、我が家の2階リビングや3階の寝室においてある灰皿を不思議そうに眺めて、僕に尋ねてきたことがあったのだ。
「啓介さん、これ、なぁに?」
驚いたことに、カミさんには灰皿が何に使うものなのか分からないようだ。また、自分がタバコを吸っていたことさえを忘れてしまっているのだろう。
「何言ってるんだよ? ペコ、あれだけタバコが好きだったじゃないか。俺がずっと前にタバコを止めてからも、ペコは吸い続けてただろ?」