また、クーラーのリモコンをテレビのリモコンと間違えたり、今日が何月何日なのか、カレンダーを見ても分からないこともあった。僕は頭では彼女の病気のことを理解しているつもりでも、こうした目の前で起こる日々の異変に、感情がついていかないこともしばしばだった。
さらに、彼女は視界も狭くなった。たとえば、自分のすぐそばにあるものに気づけない。
「すぐ横にあるじゃないか」と言っても、目の前のほんの一部しか見えていないようだ。どうやら、家の至るところにある、自分の子供であるはずの、ドラえもんのぬいぐるみたちも見えていないようにも思える。
飲むべき薬を間違えることは、ほぼ毎日――。
彼女には、現在、認知症の進行を遅らせる作用のある薬など10種類近くが処方されている。そのため、朝飲むものはピンク、夜飲むものはブルーの薬ケースに、僕がそれぞれ分けるようにしていた。だが、何度言い聞かせても、逆のほう、つまり朝なのにブルーのケースの薬を飲もうとしてしまう。
「ペコ、朝に飲むのはピンクのほうだよ。昨日も言ったでしょ?」
「うん、分かったわ」
しかし翌朝、カミさんは、またしてもブルーのケースを取り出してしまう。まれに正しいほうを選択できることもあるのだが、8割は間違えている。
僕は病院で認知症だと診断されてからも、しばらくは「もしかしたら、脳梗塞の後遺症の一種なんじゃないか?」という気持ちも捨てきれなかったが、こうした理解に苦しむ発言や異常な行動を見ていると、その回数は日を追うごとに増えていった。
「これは、ただごとではない!」
そんな日々の中で、「これは、ただごとではない!」と、認知症を発病していることを僕が嫌でも確信させられた出来事があった。
僕たちは毎年、以前、仲人を務めた若い夫婦と2組で、正月の温泉旅行に出かけるのが恒例行事となっていた。あれは確か、3年前のこと。その年は両夫婦で鹿児島の指宿温泉を訪れたのだが、4人で砂風呂に入っていたときのことだった。
突然、「何すんのよ!」というカミさんの怒声が浴室中に響き渡ったのだ。僕はその声を聞き、慌てて砂の中から飛び起きた。