実は分かっている、「写楽の正体」
さて、拙作『憧れ写楽』は、名前の通り、浮世絵師東洲斎写楽の正体に迫る、いわゆる写楽正体説ものである。
東洲斎写楽は活動時期の短さもあって実像が見えない。その割、世界的に知名度の高い絵師だ。写楽正体説ものは、写楽のそうした特徴を逆手に取って盛り上がった、時代小説、歴史ミステリ、ノンフィクションに跨がる定番の謎である。小説分野においても、この謎を扱った名作が生まれた。高橋克彦『写楽殺人事件』、泡坂妻夫『写楽百面相』、島田荘司『写楽 閉じた国の幻』などを挙げることが出来よう。
一方史学分野では、写楽の正体はほぼ比定されている。
阿波蜂須賀家のお抱え能役者、斎藤十郎兵衛だ。
天保期に著された斎藤月岑『増補浮世絵類考』の写楽の項目に「俗稱(称)斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」の記述がある。これ自体は古くから知られていたが斎藤十郎兵衛の実在が確認できず、写楽正体説ものが過熱、百花繚乱の様相を呈した経緯がある。だが、平成に入り、八丁堀地蔵橋に能役者の斎藤十郎兵衛がいたという記述が他史料から発見され、『増補浮世絵類考』の記述を裏付ける格好となった。二〇二四年現在、写楽正体説もののフィクション、ノンフィクションが下火になったのは、こうした研究の進展を受けてのことだ。
歴史学の観点からは写楽=斎藤十郎兵衛でよかろうし、誰かに聞かれたら、わたしも「史実ベースなら写楽は斎藤十郎兵衛でいいと思います」と答えることだろう。
しかし、である。
この研究状況を前提にしてもなお、写楽正体説ものの小説を書けるのではないか。斎藤十郎兵衛が写楽であると認めた上で、実は写楽はもう一人いて……と物語を運べば誰も書いたことのない正体説をでっち上げられる、わたしはそう考えたのである。
最近、ファクトとフェイクを分別せよとやかましい。そうした時代にあって、フィクションは潜在的に公共の敵になり得る存在である。事実、歴史小説界隈には、そのように扱われてしまった作品が数多ある。
事実を伝える使命を持ったメディアは、フェイクを排除すべきだろう。だが、小説は、嘘でもって形作り、事実では描きようのない何かを読者に届けるメディアだ。
わたしが読者さんに何を届けようと嘘を紡いだのか、是非、見定めていただきたい。
『憧れ写楽』、書店様などでお見かけの際にはなにとぞ。