信じあっているからこそ、キリスト教をいじれる
――しかし、ここまで踏み込んだことを言っていると批判など多いのではないでしょうか? 宗教業界って保守的な、伝統的な流れを強く汲んでいる印象があるのですが……。
ふざけ もちろん、いろいろな批判がありますよ。例えば、こういったふざけたツイートに「不敬だ」「貶めるな」とおっしゃっているのは、同じクリスチャンでも1世(両親や家の宗教に関係なく、自ら洗礼を受けた人)の方に多い気がします。1世の方は「入信してよかった、神様に救われた」と思っている人が多いんです。だから、尊敬している人をいじる、一歩踏み込んだことを言うのが難しいのだと思います。たぶん、神様を「お世話になった学校の先生」のような存在として感じているのではないでしょうか。僕ももちろん神様を尊敬していますが、それは父親に対して感じる尊敬に近いものです。ずっと一緒にいて、信じあっているからこそいじれる、と言いますか。
まじめ 僕たちはただ有名になりたい、とか私利私欲のためにツイッターをやっているわけではありません。キリスト教を少しでも広めたいという、あくまで純粋な気持ちが根本にあるんです。だから、こういった「キリスト教いじり」を他の誰に批判されても、神様は絶対怒らないと確信しています。
――「学校の先生と親父に対する感情の違い」ですか。同じクリスチャンでも捉え方が違うのは面白いですね。
ふざけ ああ、でも怖い思いをしたこともありますよ。「お前たちの教会は間違っている!」と実際に教会に言いに来た方もおりましたし。暴行予告さえ来たこともあります。
まじめ やや過激な保守主義の方から「日本には神道があるんだから、そんな異教を広めるな! 出て行け!」と言われたことも。異教って、何時代だよと思いますが(笑)。かと思えば、「つまんねーよばーか」みたいな、驚くほどシンプルな攻撃もあります。
ふざけ あとは、他の教会に属していらっしゃるクリスチャンの方から「そんなに人気取りばかりして何になるんだ」と言われることもありますよ。従来の方法でまじめに伝道活動しようとしていらっしゃる人から見たら、僕たちが人気ばっかり取って何もしていないように見えているのだと思います。
牧師という“上司”が支えてくれるからこそ
――この教会内の方々は全面的に応援していらっしゃるんですか?
ふざけ いえいえ、実際にツイッター経由で人が集まるようになるまでは、「そんなもの意味あるの?」と言われたりもしましたよ。「くだらない」と言われたこともありますし。
まじめ 今は、「ふざけすぎ」という批判よりも「聖書のあの解釈、ちょっと違うんじゃない?」とご指摘をいただくようになりました(笑)。ツイッター経由でいらっしゃった方も暖かく迎えてくれますし、今はアカウントに対する批判は特にありません。
――批判から指摘に変わったわけですね。教会の皆さんが支えている部分もあるということでしょうか?
ふざけ それは大きいですね。特に、僕たちの教会の場合、牧師が理解をしてくれていて、ツイッターなどの活動を応援してもらえるんです。牧師が僕の父というのもあって、連携はしっかり取れていると自負しています。そこが他の教会とはちょっと違っていて、ありがたいところですね。ツイッターでフォロワーが増えてから、教会ホームページにも人生相談が絶えないんですが、そちらは牧師がすべて対応してくれています。“上司”が支えてくれるからこそ、このアカウントが大きくなりえたんです。
〈後編〉につづく
写真=平松市聖/文藝春秋