東京・駒沢に居を構えるプロテスタント系教会「上馬キリスト教会」。同名のツイッターアカウントのフォロワーは6万人を越え、日めくりカレンダーを出版するほどの人気ぶりです。
宗教に対するタブー感などお構いなしに、聖書やキリストに切り込む中の人・まじめ担当さんとふざけ担当さん。前半は、アカウントの人気の秘密を伺いました。
後半は、おふたりの信仰の生い立ちと、上馬教会の「押し付けない」スタンスについてお伺いします。
〈前編〉のつづき
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クリスチャン2世として生まれた
――おふたりの少し個人的な話をお伺いしたいです。ふざけ担当さんは「僕はこの教会で生まれた」とおっしゃっていましたが、生まれたときからキリスト教徒、ということでしょうか?
ふざけ担当(以下ふざけ) 「キリスト教徒」をどう定義するかによって若干解釈が異なるのですが、洗礼を受けたときから、ということにすると僕が「キリスト教徒になった」のは大学生になってからです。
僕は両親がキリスト教徒の「クリスチャン2世」として生まれ、幼い頃から教会に通っていました。でも、両親から「洗礼を受けろ」と言われたことは全くありませんし、自分でも誰かに言われて洗礼を受けるのは絶対に嫌でした。神様はいる、となんとなくは思っていましたが、自分でその確信があるまでは洗礼を受けたくなかったんです。
――生まれた頃からキリスト教が生活の中にあったということですよね。ずっとこの教会にいらっしゃって、ご自身のなかで反発などありませんでしたか?
ふざけ もちろんありましたよ~。教会に来なかった時期もありました。でも両親は、教会へ行くことを強制したり、キリスト教に関することで叱ったりしなかったんです。今思うとありがたいことですね。
“生かされている”と気づいた瞬間
――そんな中で、洗礼を受けようと思ったきっかけは何だったんでしょうか?
ふざけ アメリカに行って自分の無力さを痛感したことですね。ホームステイをしていたんですが、語学もあまり出来なかったので、自由に人とコミュニケーションがとれない。人に道を聞こうにも満足に聞けず、迷って警察に助けられたこともありました。どこかへ遊びに行きたくても、車も免許もなかったので友達にお願いして連れて行ってもらわないとどこにも行けなかった。
日本にいたときは、勉強も運動もできて、友達もたくさんいて、何でも一人で出来ると思っていたんです。でもそうではなく、神様に生かされているんだ、と気づきました。そのとき、自分で「神様はいる」という確信が持てたんです。それで、帰ってきて洗礼を受けようと決めました。