キリスト教はどちらかというと嫌いでした
――なるほど……。まじめ担当さんもクリスチャン2世なのですか?
まじめ担当(以下まじめ) いえ、僕は全くキリスト教に関係ない家に生まれました。実家は上馬教会に近いのですが、どちらかというとキリスト教が嫌いで、この教会にも石を投げつけたいくらいの気持ちでしたね。
――極端ですね(笑)。そこからなぜ洗礼を受けようと思ったのですか?
まじめ 高校の授業でニーチェを習ったことがきっかけですね。「神は死んだ」というニーチェの有名な台詞がありますが、それを聞いて「このおじさん、面白いこと言ってるな」と思ったんです。そこから自分でキリスト教について勉強するようになって、その中で「神は死んだ」なんて言えないんじゃないか、と思い始めました。そうして自分で聖書を読み進める中で、神様はいると確信したんです。でも、ひとりで信仰していても、誰も僕の信仰を証明してくれない。そう思い、証明してくれる誰かを求めて教会に来ました。
ふざけ こういう理屈っぽいところもまじめさんの特徴なんです。
クリスチャンは“恥じるべきこと”ではない
――おふたりは全く違った経緯で洗礼を受けていらっしゃるんですね。そんなおふたりが共同でアカウントを運営されている目的は、やはり「伝道する」ということなのでしょうか?
ふざけ 最初はなんとなく始めたアカウントですが、今の最大の目的は、僕と同じような境遇にあるクリスチャン2世を「救う」ことですね。
――クリスチャン2世というのは、先ほどおっしゃっていた、両親がクリスチャンで子供のころからキリスト教に親しんでいた方たちですよね。その方たちを「救う」とは、どういうことでしょうか?
ふざけ 僕の経験はクリスチャン2世のなかではスタンダードだと思いますが、自分がクリスチャンであることを告白するのが嫌なんです。小さい頃、「教会に行ってるんだ」と友達に言ったとき、「えっ?」と怪訝な顔をされたのがずっとトラウマで……。実は、最近まで自分から「クリスチャンであること」を告白できませんでした。僕が顔出ししていない理由も、友達にばれたくない、というのが最大の理由だったんです。
でも、実際にはクリスチャンって恥じるべきことではない。今はクリスチャンが珍しいし、「普通じゃない」と思われているから、「えっ? そんなことしているの?」と驚かれてしまう、というだけだと思うんです。一般の方にも、クリスチャンだって普通の人なんだよ、変な人たちじゃないんだよと知ってもらいたい。幼いクリスチャン2世の子供たちが、僕みたいに「えっ?」と言われない世の中にしたいんです。クリスチャンであることで傷ついてしまう人を減らしたい。
――こちらは差別をしている気持ちはないんですが、あまり見かけない分「えっ?」と驚いてしまうことはあるかもしれませんね……。知らない、珍しいからこそといいますか。
ふざけ 悪気はないことも分かるんですが、子供心に悲しくて……。実際、この教会でもクリスチャン2世の子が教会に来なくなったことがあったんです。そのときに、その子の学校の友達が、僕たちのツイートを「面白い!」といってリツイートしているのを見たらしいんですね。リツイートって、「いいね!」という承認の意味もあると思うんです。友達に認めてもらえた、変なものと思われなくなった……。子供にとっては大きな変化じゃないですか。その子は、また教会にも来てくれるようになりました。僕たちもうれしかったですし、僕たちの活動で前向きになってくれる子がいるなら、もっとその輪を広げていきたいと思ったんです。